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アステカの神シペ・トテックの神殿と像が発見された!

 2019-01-16
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シペ・トテック神殿と像の発見


 メキシコの古都プエブラの近くにある町テウアカン(Tehuacán)にあるアステカ時代の遺跡から、アステカの神シペ・トテック(Xipe Totec)の神殿と像が発見されました。アステカの神を祀った神殿は数多くありますが、シペ・トテックを祀った神殿が見つかったのは今回が初めてということです(2019年1月2日メキシコ国立人類学歴史学研究所(INAH)発表)。

 神殿から見つかったのはシペ・トテックの石像三体で、皮をはがれた状態の頭部二つと頭の無い胴体の像が一つ。胴体の像の手には生贄からはがした皮が握られ、背中にはシペ・トテックが着たとされる生贄の皮が彫り込んでありました。

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見つかった頭部の像。横に胴体の像がある。

皮をはぐ神への生贄の儀式


 アステカの神話にはユニークな神が多く登場するのですが、なかでもシペ・トテックはかなり変わっています。基本的には農業と戦争の神ですが、その名前は「皮を剥かれた我らが主」という意味だそうで、ウイキペディアの説明では、この神は「自らの皮をはいで人々に食料を与える」という特徴を持つそうです。

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シペ・トテック神の姿

 「皮をはぐ神」ということで、アステカでは戦争で捕虜にした人の皮をはいで生贄としてシペ・トテックにささげる儀式を行っていたといいます。「二つある祭壇の一つでいけにえをささげ、もう一つでいけにえの皮をはぎ、その皮を神官たちがまとった」とINAHは説明しているのです。

 神官が生贄の皮を身にまとったのは、時間が経つにつれて皮が腐って剥がれ落ち、その下から生きた人間の皮膚が現れることからシペ・トテックの再生の力を示したものとされています。シペ・トテックの再生力は春の息吹とも考えられていたそうです。
 
 ちなみに、この遺跡は「ラ・シウダー・ンダチヒアン(La ciudad Ndachjian)」あるいは「テウアカン・エル・ヴィエッホ(Tehuacán El Viejo)」と呼ばれており、プエブラの南東120kmほどに位置するテウアカンの町の近くにあります。また、遺跡から出土した石像などを収蔵した博物館「Museo de Sitio Tehuacan Ndachjian」もあります。

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博物館の外観

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グアテマラのラ・コロナ遺跡で王の祭壇を発見!

 2018-09-22

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 中米グアテマラの北部に位置するラ・コロナというマヤの遺跡から発見された1500年前石の祭壇がグアテマラ国立考古学民俗学博物館に展示されたというニュースがありました。
 
 石灰岩の祭壇には、ラ・コロナを支配していたチャック・トック・イチャーク(Chak Took Ich'aak)王が杖を持って座っている様子が彫刻されており、重さは約1トンということです。

 記事には祭壇は最近発見されたと書かれていますが、他のニュース記事には昨年発見されたものだと書かれています。たぶん、昨年発見され、今年9月中旬に博物館に展示されたということでしょう。




 王を象った石の彫刻などはマヤでは珍しいものではないのですが、このラ・コロナという遺跡が面白いのです。

 ラ・コロナは1997年に発見された規模の小さな古代都市で、発見当初は、研究者たちには、あまり重要な遺跡と考えられていなかったようです。このころ、各地の博物館に盗掘によって持ち出されたと考えられる優れた彫刻を施した石版があり、その出所がどこか議論になっていました。

 これを研究したオーストラリアの考古学者が、とりあえず出所を「Q遺跡」と名づけたのです。その後、一部の学者がラ・コロナがQ遺跡であるという説を唱えました。

 そして、2005年にラ・コロナ遺跡に対するアメリカとグアテマラの共同発掘調査が行われ、Q遺跡がラ・コロナだったと証明されたのです。従って、ラ・コロナから発掘された石の彫刻は、すでにいくつも存在していたのです。

 さらに、海外のメディアが注目しているのは、ラ・コロナが蛇の王国(カーヌル王国)と呼ばれた強力な王朝の同盟国であったことです。西暦500年ころ、この地域の覇者であったティカル(グアテマラの世界遺産)に対し、蛇の王国の中心都市であったカラクムル(メキシコの世界遺産)が対立していたのです。

 カラクムルは周辺の諸都市と同盟を組んで勢力を拡大します。ラ・コロナは520年に蛇の王国と婚姻関係を結んだとされています。そして、562年についに蛇の王国はティカルを打ち破って覇権を握ったのです。

 それから約130年の後、ティカルは勢力を取り戻し、カラクムルと同盟都市を打ち負かしました。こうして、ラ・コロナなどもマヤの歴史から消え去っていったのです。

 こうした歴史は最近の碑文の研究などから分かってきたもので、まるでアメリカで人気のテレビドラマシリーズである「ゲーム・オブ・スローンズ」の覇権争いのようだというのです。このため、このラテンアメリカのこのニュースには「Juego de Tronos(ゲーム・オブ・スローンズのスペイン語約)」というタイトルが付けられています。

 このドラマは知りませんが、日本で言えば戦国時代のような戦いがマヤでも繰り広げられていたのです。今後、ラ・コロナやカラクムルなどの調査の進展によって、更に詳しいマヤ諸都市の栄枯盛衰が明らかになることが期待されます。

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メキシコの世界遺産パレンケ遺跡で王の仮面発見!!

 2018-09-07

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 8月下旬、メキシコの世界遺産であるパレンケ遺跡で、パカル王をかたどったとされる漆喰装飾の仮面が発見されたというニュースが伝えられました。

 パカル王というのは、メキシコのチアパス州にあるマヤ文明の古代都市パレンケを統治したキニチ・ハナーブ・パカルⅠ世(西暦603年-683年)のことです。

 この時代のマヤは有力都市間の戦争が盛んにおこなわれており、他都市の侵略から自分たちの都市や住民を守ることが大変な時代でした。そんな中で王となったパカルは、マヤ文化圏西端に位置する小国であったパレンケを強力な武力を有する大国に変貌させたのです。

 実際にパレンケをみると、規模の大きなピラミッド型神殿や宮殿などが数多く残されており、数多いマヤの都市の中でもかなり強力な都市であったことが想像できます。

 パカル王が注目されるようになったのは、メキシコの考古学者アルベルト・ルスが1952年に碑銘の神殿で発見した王墓からです。そこにあった巨大な石の棺の蓋にパカル王の姿がレリーフされており、棺の中にあったパカル王と推測される遺体にはヒスイの仮面がかぶせられていました。また、墓室からはパカル王の漆喰の像も発見されています。

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パカル王の墓(復元模型)

 今回の仮面は、今年の1月から始まったパレンケの保全プロジェクトによって、El Palacio(宮殿)と呼ばれる建造物の修復作業をしている際に発見されました。同じ場所からは、様々な動物の骨や水生植物なども出てきており、マヤの儀式の供え物であったと考えられます。


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「エル・パラシオ(宮殿)」と呼ばれる建造物。


 仮面の顔をパカル王と推測したのは、王墓の発見によってパカル王の顔立ちが分かっていたからです。

 パレンケはマヤの遺跡の中でもかなり発掘調査や観光開発が進んでいる方なのですが、まだ、調査や発掘が進んでない部分はたくさんあります。ジャングルに覆われた巨大遺跡だけに、今後も、遺跡整備や発掘調査の進展によって新たな発見につながる可能性は高いと言えます。

パレンケ遺跡についてはこちらを参照。


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タグ : パレンケ パカル

ペルーで3800年前のレリーフ壁画が発見!!

 2018-08-21
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 南米ペルーの首都リマの北部にあるビチャマ遺跡で、先週、約3800年前のものと推定されるレリーフの壁画が発見されました。
 壁画が見つかったのは石と泥で作られた幅2.8m、高さ1mの壁。表面を漆喰状の泥で化粧し、そこに人の頭、ヘビ、種をレリーフ(浅浮彫)しています。
 ペルーの海岸地帯で栄えた他の文明も、こうしたレリーフの壁画を残していますが、これだけ古い時代のものは珍しいと思います。
 ビチャマは、リマの北140キロメートルを流れるウアウラ川の右岸に位置し、先土器期から草創期にあたる紀元前3000年~1800年にかけて栄えたとされています。現在は、ペルー文化庁による発掘調査が行われており、砂漠にの中に残された複数の構造物やモニュメントがあるようです。


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アメリカ大陸最古の都市「カラル

 発掘調査に当たっているのは、もともと、近隣のカラル遺跡を発掘しているチームです。カラル遺跡は5000年も前に栄えた、アメリカ大陸最古の大都市と考えられています。ペルー政府は、カラルだけでなく周辺の主要遺跡の発掘も進め、新たな歴史の発掘と観光の振興を目論んでいるのでしょう。
 カラルやその周辺は、これまであまり注目されていなかっただけに、今後が楽しみです。


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メキシコのテオパンソルコ遺跡で新たな神殿が見つかった!

 2018-07-21
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 メキシコシティから近く、保養地としても人気のあるモレロス州のクエルナバカ近郊にある古代遺跡のピラミッドの中から古い時代の神殿が発見されました。

 昨年9月、メキシコ中部で起きた地震によって、クエルナバカ周辺にある遺跡にも様々な被害が出ました。そこで、メキシコの国立人類学歴史学研究所(INAH)が遺跡の被害状況を調査していたのです。その結果、今年の7月中旬、クエルナバカ市にある小規模な遺跡であるテオパンソルコで、古代アステカ文明のピラミッドの内部に、雨の神トラロックを祭った古い時代の神殿があることがわかったのです。

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トラロック神

 テオパンソルコ遺跡は、元々、この地方を支配していたトラウイカス族が建造した神殿都市ですが、のちにこの地域に侵入したアステカ族によってアステカ様式の神殿群に作り変えられたとされています。

 この遺跡のメインの神殿の上部には、アステカの軍神ウィツィロポチトリと雨の神トラロックの神殿がありました。地震の被害が最も大きかったのがここだったようです。INAHの研究者は「いずれの神殿も床が沈んで屈曲し、安定性を欠いた状態となった」と言っています。

 そこで、調査隊がレーダー探知機を使って神殿の内部構造を調べたところ、そこにトラロックを祭った神殿が見つかったということです。

 この神殿は、1150年ごろのトラウィカス時代のものとみられ、奥行き約6メートル、幅約4メートル。その他、陶器や香炉も発見されたそうです。

 アステカやマヤなどのメソアメリカの文明は、古い時代の神殿の上に新しい神殿を作ることで規模を大きくさせていく方法を用いました。また、支配下に置いた古い文化が作った神殿の上の自分たちの神殿を被せるて作ることで、支配力を誇示したとも考えられます。

 テオパンソルコは、こじんまりした公園のような遺跡ですが、クエルナバカ市の中心部から車で10分程度で行けますので、クエルナバカに行く機会があれば寄ってみてはいかがでしょうか。


神殿発見を伝える現地のテレビニュース

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テオパンソルコ遺跡の旅行記はこちらへどうぞ!

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