マヤの大規模な要塞が見つかった!!
2019-03-11
グアテマラ北部で、古代マヤ時代の大規模な要塞跡が発見されたそうです。
調査に当たっているナショナルジオグラフィックの記事では「この地域でこれほど大掛かりな要塞が見つかるのは初めてで、もしかしたら南北米大陸の古代遺跡を見わたしても初めての発見ではないかと」いうのです。
さらに、「新たに確認された構造物からは、戦争が大規模で組織的だったこと、この古代文明が栄えた時代の大半において、戦いが生活の一部だったことがわかる」としています。
マヤが戦争に明け暮れていたことは、これまでもかなり知られていたことです。しかし、マヤがこうした要塞を築いていたことや、長年にわたって大きな戦争が行われてきた証拠が見つかったことから、予想以上に都市間の戦争が激しかったことが推測できるようです。
今回の発見は、上空からレーザーを当てることで密林に隠れた場所を調査できるライダー(LiDAR)技術によって可能になりました。以前も、この技術を使ってティカルとその周辺の調査を行い、密林に埋もれた数多くの神殿などを発見したことがニュースになりました。
こうした新しい技術を使ったプロジェクトが進むことで、マヤに関する新発見はまだまだ続きそうです。
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マヤの洞窟で大量の遺物を発見!!
2019-03-08
マヤ文明を代表する遺跡チチェン・イッツア近くの洞窟で儀式用の素焼きの土器など150点以上が発見されました。
バラムク(Balamkú=ジャガー神)と名づけられたこの洞窟の調査は2018年からINAH(メキシコ国立人類学歴史研究所)が中心になって行われており、これまでに入り口付近の7つの洞穴の内部が確認されているそうです。
最初にバラムク洞窟が発見されたのは1966年だそうです。当時、調査を行った考古学者は洞窟の中に大量の遺物が存在すると分かっていたにもかかわらず、洞窟を封印してしまい、これに関する資料も失われたそうです。
それから50年たって、ようやく調査隊が洞窟に入ったわけです。発見された遺物は、チチェン・イッツアの住民たちが神に捧げたもので、その多くは素焼きの香炉や壷などでした。
なかでも目を引くのは、雨の神トラロックの顔を象った香炉です。トラロック(またはチャック)はアステカでも非常に重要な神としてあがめられていました。こうした香炉は他の洞窟でも発見されています。
保存状態がいい大量の遺物の発見によって、チチェン・イッツアの儀式や衰退の謎などについての解明が期待されます。
洞窟発見の映像(NATIONAL GEOGRAPHIC)
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グアテマラのラ・コロナ遺跡で王の祭壇を発見!
2018-09-22
中米グアテマラの北部に位置するラ・コロナというマヤの遺跡から発見された1500年前石の祭壇がグアテマラ国立考古学民俗学博物館に展示されたというニュースがありました。
石灰岩の祭壇には、ラ・コロナを支配していたチャック・トック・イチャーク(Chak Took Ich'aak)王が杖を持って座っている様子が彫刻されており、重さは約1トンということです。
記事には祭壇は最近発見されたと書かれていますが、他のニュース記事には昨年発見されたものだと書かれています。たぶん、昨年発見され、今年9月中旬に博物館に展示されたということでしょう。
王を象った石の彫刻などはマヤでは珍しいものではないのですが、このラ・コロナという遺跡が面白いのです。
ラ・コロナは1997年に発見された規模の小さな古代都市で、発見当初は、研究者たちには、あまり重要な遺跡と考えられていなかったようです。このころ、各地の博物館に盗掘によって持ち出されたと考えられる優れた彫刻を施した石版があり、その出所がどこか議論になっていました。
これを研究したオーストラリアの考古学者が、とりあえず出所を「Q遺跡」と名づけたのです。その後、一部の学者がラ・コロナがQ遺跡であるという説を唱えました。
そして、2005年にラ・コロナ遺跡に対するアメリカとグアテマラの共同発掘調査が行われ、Q遺跡がラ・コロナだったと証明されたのです。従って、ラ・コロナから発掘された石の彫刻は、すでにいくつも存在していたのです。
さらに、海外のメディアが注目しているのは、ラ・コロナが蛇の王国(カーヌル王国)と呼ばれた強力な王朝の同盟国であったことです。西暦500年ころ、この地域の覇者であったティカル(グアテマラの世界遺産)に対し、蛇の王国の中心都市であったカラクムル(メキシコの世界遺産)が対立していたのです。
カラクムルは周辺の諸都市と同盟を組んで勢力を拡大します。ラ・コロナは520年に蛇の王国と婚姻関係を結んだとされています。そして、562年についに蛇の王国はティカルを打ち破って覇権を握ったのです。
それから約130年の後、ティカルは勢力を取り戻し、カラクムルと同盟都市を打ち負かしました。こうして、ラ・コロナなどもマヤの歴史から消え去っていったのです。
こうした歴史は最近の碑文の研究などから分かってきたもので、まるでアメリカで人気のテレビドラマシリーズである「ゲーム・オブ・スローンズ」の覇権争いのようだというのです。このため、このラテンアメリカのこのニュースには「Juego de Tronos(ゲーム・オブ・スローンズのスペイン語約)」というタイトルが付けられています。
このドラマは知りませんが、日本で言えば戦国時代のような戦いがマヤでも繰り広げられていたのです。今後、ラ・コロナやカラクムルなどの調査の進展によって、更に詳しいマヤ諸都市の栄枯盛衰が明らかになることが期待されます。
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メキシコの世界遺産パレンケ遺跡で王の仮面発見!!
2018-09-07
この時代のマヤは有力都市間の戦争が盛んにおこなわれており、他都市の侵略から自分たちの都市や住民を守ることが大変な時代でした。そんな中で王となったパカルは、マヤ文化圏西端に位置する小国であったパレンケを強力な武力を有する大国に変貌させたのです。
実際にパレンケをみると、規模の大きなピラミッド型神殿や宮殿などが数多く残されており、数多いマヤの都市の中でもかなり強力な都市であったことが想像できます。
パカル王が注目されるようになったのは、メキシコの考古学者アルベルト・ルスが1952年に碑銘の神殿で発見した王墓からです。そこにあった巨大な石の棺の蓋にパカル王の姿がレリーフされており、棺の中にあったパカル王と推測される遺体にはヒスイの仮面がかぶせられていました。また、墓室からはパカル王の漆喰の像も発見されています。
パカル王の墓(復元模型)
今回の仮面は、今年の1月から始まったパレンケの保全プロジェクトによって、El Palacio(宮殿)と呼ばれる建造物の修復作業をしている際に発見されました。同じ場所からは、様々な動物の骨や水生植物なども出てきており、マヤの儀式の供え物であったと考えられます。
「エル・パラシオ(宮殿)」と呼ばれる建造物。
仮面の顔をパカル王と推測したのは、王墓の発見によってパカル王の顔立ちが分かっていたからです。
パレンケはマヤの遺跡の中でもかなり発掘調査や観光開発が進んでいる方なのですが、まだ、調査や発掘が進んでない部分はたくさんあります。ジャングルに覆われた巨大遺跡だけに、今後も、遺跡整備や発掘調査の進展によって新たな発見につながる可能性は高いと言えます。
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グアテマラで6万ものマヤ文明の建造物が発見された!
2018-02-26
グアテマラ北部のペテン州を中心とした地域は古代マヤ遺跡の宝庫として知られていますが、近年、高性能のレーザースキャナーを使った調査を行った結果、ここに6万にも及ぶマヤ文明の建造物があることが分かったそうです。
調査を行ったのは米テュレーン大のプロジェクトチーム。「LiDAR laser technology」と呼ばれる、遠距離から物体を感知できるレーザー光走査技術を用いて、ペテン州のジャングルをくまなく調べたそうです。
これまで世界中の数多くの学者がペテンのジャングルを調査してきましたが、深い密林に埋もれた遺跡の調査は手間と時間がかかり、個別の都市の調査でさえ遅々として進んでいない状態です。まして、広大なジャングルの中にマヤ文明の都市遺構がどのように分布しているかといった全体像をつかむのは不可能とされてきたのです。
プロジェクトの考古学者マーセロ・カヌト氏は「密林の下に何があるかを見るために、密林を切り開く必要はもはやない」と語ったそうです。この調査が進めば、新たな都市の発見と発掘調査のために大いに役立つのではないかと思われます。