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インカの聖地「太陽の島」へ行く!

 2017-05-18
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太陽の島から見た月の島

雨の中、太陽の島ツアーに出発

 太陽の島は、インカの初代皇帝マンコ・カパックとその妹のママ・オクリョが降臨したという伝説がある人気の観光地となっています。コパカバーナで泊まったホテル・ミラドールの近くにある桟橋からツアー船が出ており、フロントでツアーのチケットを買うことができます。料金は30ボリビアーノ(450円くらい)です。

  ツアー出発の朝は雨でした。目を覚ました時、ハッキリと分かる雨音が聞こえ、ガックリしました。窓のカーテンを開けると、雨に煙るチチカカ湖にたくさんのボートが浮いています。湖岸に人影はなく、ツアーが行われるのかと心配になるほどです。

 とりあえず朝食を取った後、フロントの係員に「今日のツアーは大丈夫?」と聞いてみました。「もちろん」との答え。「雨でも仕方ないか」と思いながらレインウエアを着ると、湖に続く泥道を歩き出しました。

 湖岸の桟橋に30人ほど乗れそうなボートが数隻停泊しています。ツアー会社の名前が入ったボートに乗り込むと、湿った重い空気の中で、すでに20人以上が待っていました。

 ボートは雨の中を太陽の島に向けて進んで行きます。途中で、係員からツアーの説明がありました。それによると、この会社の太陽の島ツアーは、最初に太陽の島の南側にある桟橋に着いた後、メインの港、北部の港へと移動していくのだそうです。ところが、この時は、北部のコミュニティで争いがあって行くことができないので、その代わりに月の島に行くと言います。通常は行かない月の島にも行けるのなら、私としてはむしろありがたかったのです。


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ツアーのボートはこんな感じ


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ボートの中ではみんなまったりしている


月の島に上陸

 ボートは速度が遅く、海のように広い湖をトロトロと進んで行きます。しかし、窓の外を見ると雨も止んできていますので、これも好都合かもしれません。1時間半以上かけて太陽の島に着くと、島に渡る人を降ろし、月の島に向けてまた走ります。雨は完全に止みました。

 そこから30分ほどで月の島に到着。ここには処女の宮殿と呼ばれるインカの遺跡があります。インカ時代には、こうした施設が神殿と共に作られ、特に選ばれた女性たちに儀式用の織物を織らせたり、皇帝に仕えるのに必要な様々な知識を身につけさせたりしたそうです。一説には、神への生贄に捧げられる準備をさせたとも言われています。

 小さい遺跡ですが、比較的きれいに整備されています。入場料は10ボリビアーノ(150円くらい)。

 この遺跡から15分ほど坂を上っていくと、山の尾根に出ることができます。反対側では、湖に浮かぶ太陽の島を望む美しい景色が堪能できます。

 月の島はこれで終了。すぐに、太陽の島に戻ります。このころになると天気も回復し、太陽が顔を出し始めました。気温も高くなってきたので、ボートの屋根に上ることにしました。広大な湖を渡るボートの上から見る景色は最高です。吹く風が冷たかったため、レインウエアにくるまって椅子に寝転がりました。太陽の日差しが眩しく、強い紫外線が降り注いでいるのが分かりますが、気持ちのいい温かさに包まれて眠くなりました。


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処女の宮殿と呼ばれるインカの遺跡


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遺跡の上の方から見た景色


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尾根に上ると、遺跡の反対側に太陽の島が見える


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ボートの屋根の上に乗って太陽の島を目指す

 

太陽の島でトレッキング

  ボートは太陽の島の南端にある桟橋に到着しました。係員が「ここのレストランで昼食の後、ボートでメインの港に向かうが、歩いて港に行くこともできる」と言います。私は、昼食を食べず、歩いて港に行くことにしました。

 桟橋から尾根伝いに道が作られており、緩やかな上り坂が続くのですが、きつい道ではありません。途中には太陽の寺院ピルコカイナというインカの小さな遺跡があります。この辺りに、入島料を徴収する係員がいて10ボリビアーノを払いました。


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島の南端。下の方に桟橋があり、左側に宿泊施設とレストランがある。


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北に向かうトレッキング道。緩やかな上りだ。


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インカの遺跡「太陽の寺院」


 1時間ほど歩くと、港の上の方に位置するメインの集落に着きます。ここにはたくさんの宿泊施設や土産物屋が軒を連ねており、ちょっとした観光地になっています。港にボートで着くと、ここまで急な階段を上ってこなければならないので、ちょっと辛い感じですが、南の桟橋からだと、距離は遠くても急な坂がない分、楽な感じがします。

 集落からは、湖に囲まれた島ののんびりした風景を見ることができます。特に見所があるわけではないのですが、地元の人たちが生活する様子が垣間見える景色というのは、いいものです。sol005.jpg

下の方にメインの港がある。周辺には宿泊施設が多い



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町のメイン通り。土産物屋やホテルが多い。

 

インカの聖なる泉

  集落から坂を下っていくと、途中にインカ時代の石垣から水が流れ出る「聖なる泉」があります。マチュピチュやオリャンタイタンボなどインカの遺跡でよく見られる水道と比べると貧弱ですが、港から続く長い石段を登ってきた時には、ちょっと休憩して汗ばんだ顔を洗ったりするのに便利です。

 泉の水はそこから石段脇に設けられた水路を伝って下に流れており、周辺には花が咲いていて綺麗です。港まで降りると、午後発のツアーボートが着いて大勢の観光客が降りてきました。

 ボートは3時半に港を出発し、コパカバーナ着は夕方5時となりました。500円に満たないツアー料金で丸1日楽しめるわけですから、他の国では考えられないコストパフォーマンスだと思います。


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石垣から水が流れている「聖なる泉」

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集落に上る入り口にはインカ皇帝の像が立っている。

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太陽の島のメインの港。周囲には宿泊施設が並んでいる


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インカ神話の地、コパカバーナへ

 2017-05-15
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ラパスからコパカバーナへバスで移動

 ラパスからチチカカ湖畔の有名な巡礼地であるコパカバーナに行くバスは中央バスターミナルから出ています。しかし、私はホテルに近いセメンテリオ(墓地)にある安いバス会社を選びました。出発時間は、平日と週末で異なるのですが、朝は6時から30分おきに出ています。価格は20ボリビアーノ(約300円)でした。

 8時半発のバスに乗り込むと、乗客は10数人で、かなり空いていました。しかし、途中でエル・アルトのバスターミナルに寄り、二十人ほどが乗り込んだため、席はほぼ埋まりました。エル・アルトではあちらこちらで道路工事が行われていて、バスは迂回するために狭い市街地に入り込んでノロノロ走り回ります。これにはイライラしました。


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セメンテリオから出発するバス

湖をボートで渡る・・・

 3時間ほどでチチカカ湖岸に到着。この湖は標高3800mに位置し、大きさは琵琶湖の13倍弱。北西のチュクイト湖と南東のウイニャイマルカ湖に分かれています。道路は、この二つの湖を結ぶ幅0.5kmほどの水路で途切れており、ここを船で横断する必要があるのです。フェリーなどはないため、バスは台船に乗せて対岸に渡し、乗客はボートで渡ります。35年前にもここを通りましたが、周辺施設が整備されたくらいで、基本的に渡しの方法は変わっていません。

 対岸には小さな街があり、旅行客相手の食品や土産物を売る店が並んでいます。トイレ休憩程度の待ち時間で、またバスに乗り先に進みます。


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チチカカ湖の水道を台船で渡るバス


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人間はボートで渡る


奇跡を起こすカンデラリアの聖母

 午後1時過ぎにコパカバーナに到着。中央広場でバスを降りると、有名なカトリックの巡礼地でもある白亜のコパカバーナ大聖堂が迎えてくれました。

 ちなみに、この教会に祀られている聖母カンデラリアは、スペイン人が現在のペルーに侵入した1530年代初頭からわずか30年後に安置されたそうです。その後、何度も奇跡を出現させたとされて聖母信仰と巡礼が盛んになったのですが、これにはインカの巡礼地とされていた太陽の島の宗教的力を削ごうとする意図があったと推測されます。

 いずれにしろ、ボリビアの辺境の地とは思えない立派な聖堂や、豪華な主祭壇の聖母像などは、この町の大きな見所となっています。


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コパカバーナ大聖堂の門。白壁にモザイクタイルが美しい


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大聖堂の正面。右に3本の十字架が立つ建物、中央が正面入り口、左が鐘楼


チチカカ湖を望むホテル・ミラドール

 ここでの宿泊はチチカカ湖がよく見えるというホテル・ミラドールに決めていました。

 中央広場で地元の人に場所を聞くと「湖の方だ」といいます。教えられた方向に向かって歩いていくと、通りの両側にレストランや土産物屋、ツアー会社が立ち並び、地元の人たちと共に大勢の観光客が歩いています。35年前は電気も満足に使えない寒村だったのですが、その発展ぶりには驚かされました。

 ホテル・ミラドールはチチカカ湖畔に建つ8階建ての結構大きなホテルです。今はシーズンオフで、数多いホテルはどこも閑散としていますが、ミラドールのロビーには数人の旅行者の姿があり、人気があるのが分かりました。

 宿泊料金は朝食付きで80ボリビアーノ(1200円くらい)と安いです。部屋はすべてレークビューになっていて、特に朝晩には美しい湖の景色を見ることができます。

 ここに宿泊したのは、インカ神話の地である太陽の島に行くためです。午後発のツアーに間に合いそうでしたが、急ぐ必要はないため翌日の朝のツアーにしました。実は、朝出発のツアーはほぼ1日かけて太陽の島を巡るのですが、午後発は太陽の島への往復に3時間かかるため、島には1時間程度滞在するだけのようです。

 遅い昼食になりましたが、名物のマス料理を食べることにしました。チチカカ湖周辺では、どこでもマス料理が食べられるのですが、コパカバーナでは湖畔にマス料理などを提供する食堂が並んでいます。おいしいマスを食べると疲れも癒されます。


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チチカカ湖畔に建つホテル・ミラドール(展望台という意味)


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ホテルの部屋から見たチチカカ湖


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コパカバーナの町と湖に浮かぶツアーボート


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チチカカ湖名物のマス料理




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ボリビア・長距離バスの旅

 2017-05-10

長距離バスで移動する・・・

スクレ~コチャバンバ~ラパス

 スクレからボリビア第3の都市コチャバンバに向かうことにしました。長距離バスで89時間かかるため、夜行便を利用します。

 スクレのバスターミナルは街の中心部から市内循環バスで15分ほどのところにあります。2階建てのかなり古い建物ですが、主要都市間の長距離バスを運行するバス会社がたくさん入っています。中に入ると、バス会社の係員が乗客を確保しようとして声を掛けてきます。その誘いを無視して、私はトランス・コパカバーナという旅行者に評判のいいバス会社を探しました。


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スクレのバスターミナル内部。かなり狭く、古い感じだ。


 その会社の窓口にいた若い男性が、「セミカーマは830分、カーマは9時発」と言います。長距離バスには、ノーマルな4列シートのバスの他、4列シートでリクライニングの傾きが大きいセミカーマ(カーマとはベッドのこと)と3列シートでシートがフラットに近くなるカーマの2種類があります。一人旅の場合、横に身体が大きい人が座ると窮屈で熟睡できない心配があります。3列シートなら、一人用の独立シートが選べますから快適に過ごせます。そこで、9時発のカーマを選びました。価格は80ボリビアーノ(1200円くらい)と、意外に安いです。

 ちなみに、この会社のホームページから同区間のチケットを購入するとカーマが20ドル、セミカーマが13ドルとなっています。為替の誤差にしては違いすぎるので、80ボリビアーノはシーズンオフの設定ではないかと思います。

 座席指定はモニター画面を見て行い、一人用の列から空いていた席を確保。係員に荷物を預ければ準備完了。バス会社は2階にあるので、バスが出るプラットフォームがある1階に降ります。ボリビアの主要都市のバスターミナルでは利用料を払う必要があります。チケットブースで2ボリビアーノ(約30円)を払い、渡されたチケットをバス乗り場の入り口にいる係員に渡すとバスに乗れます。

 プラットフォームでは係員に渡した自分の荷物がバスに積まれるか確認するため、前の便の乗客が集まっています。その時、自分の荷物が積み込むバスを間違われていないか不安になり、荷物の受け取り票を確認してみました。すると「830分」と書いてあるではありませんか。あわてて2階に駆け上がり、私の荷物を1階に下ろそうとしていた係員を制止しました。

 「危なかった・・・」と思いました。日本なら30分前のバスに荷物を載せても大丈夫でしょうが、ここでは無事では済まないでしょう。

 カーマの3列席は一人分の幅が広く、かなりゆったりした感じです。背もたれはフルフラットではないのですが、かなり深く倒せるため寝るのに問題ありません。曲がりくねった夜の山道をバスは走りますが、舗装路ですので、気持ちいい揺れに身を任せているうち眠ってしまいました。


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トランス・コパカバーナのバス。ベンツを使っている。


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カーマの内部。3列席で座席の幅が広い。


 整然とした美しさの街コチャバンバ


 朝5時半にコチャバンバのターミナルに到着しました。ターミナルから街の中心までは歩いて2030分です。ホテルを探すにも早すぎるし、時間つぶしも兼ねて歩くことにしました。

 コチャバンバは標高2600mに位置する人口50万人の都市です。この街もポトシ銀山の繁栄の恩恵を受けて発展しました。温暖な気候を利用して生産した食糧をポトシに供給する役割を担っていたそうです。

 今でも農業が盛んで、比較的豊かな土地柄のせいか、他のボリビアの都市に比べて整然とした美しさがある街です。気候も穏やかで、歩いていると朝の空気が気持ちよく感じられました。


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コチャバンバのシンボル、カテドラルの塔


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コチャバンバの中心街


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コチャバンバの中央公園に面した建物


 今回は、恐竜の足跡で有名なトロトロという場所に行くために来たのですが、事情があって断念。コチャバンバには特に見るところもないので、翌日、長距離バスでラパスに移動することにしました。コチャバンバ~ラパス間はバスで9時間ほどですが、今回は昼間の長距離バスにしました。


 安いバスはボロかった!!


 コチャバンバのターミナルは広く、たくさんのバス会社のブースが並んでいます。その中から、朝9時発のカーマがある会社を探し、値段を聞くと「30ボリビアーノ(450円くらい)」と言います。耳を疑いました。スクレ~コチャバンバ間とかかる時間もバスのクラスも変わらないのに値段は半額以下です。すぐチケットを購入し、バスが停まっているプラットフォームに行きました。

 外見はスクレから乗ったバスと変わらない二階建ての綺麗な車体です。しかし、中に乗り込んでみると、かなりボロでした。座席も汚れていて埃っぽいのです。この路線はバス会社の競争が激しく、古い車体を使ったバスは客が集まりにくいため、運賃を安くせざるを得ないわけです。客も安さにひかれてきますので、外国人観光客などは見当たらず、大きな荷物を持った地元の人たちばかりでした。しかし、カーマの一人席でゆったりできますから多少汚れていても問題ないです。


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コチャバンバのバスターミナル。スクレに比べかなり大きい。


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ボリ―バル社のカーマは安いがボロい。車体はブラジルのマルコポーロ社製


 昼間のバス移動は、やはり時間がかかる気がします。長時間の移動で窓の外の景色にも飽きてしまい、時計を見ながら「まだ着かないかなー」と何度も思っていると、ラパス市内の名物である渋滞にはまりました。そのうち雨が降り出しました。今年は例年になく天候が不順だそうです。6時ちょっと前にバスターミナルに到着。

 この移動は疲れました。


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雨に煙るラパスの街

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ボリビアで最も美しい町スクレ

 2017-05-06
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白い街と呼ばれるスクレの中心部 


 ポトシの富で栄えた街 


 鉱山都市ポトシからボリビアの憲法上の首都であるスクレに向かいます。

 タクシーでポトシの新バスターミナルに行くと、入り口にいたおばさんに「スクレ、すぐに出るよ!」と言われました。運賃は20ボリビアーノ(330円くらい)。安いです。約4時間でスクレに到着しました。

 スクレもポトシと同じようにポトシ銀山が産み出す富によって建設された街です。異なるのは、ポトシが標高4000mあるのに対しスクレは2800mと低いこと。ポトシ銀山を支配していたスペイン人植民者たちの多くが、住みやすいスクレに居を構えたことから街が発展し、建国以来ここが名実ともにボリビアの中心となっていたのです。


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スクレの5月25日広場に面した政府庁舎とカテドラル(左の塔)

 

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赤瓦の屋根が綺麗なスクレの中心部


 ポトシ鉱山での疲れを癒すため、この日のホテルは、いつもより奮発して3つ星を予約しました。中南米の古い街には、植民地時代の建造物をリニューアルしたエレガントなホテルが多いのですが、この日泊まったのもそんなホテルでした。

 街の中心から1ブロックほどの便利な場所にあり、外観はシンプルなスペイン風の建物ですが、ロビーに入るとかなり高級そうな雰囲気です。部屋も、3つ星ホテルとは思えないほど内装や家具など高級感がある作りでした。15000円くらいでしたが、比較的安い価格でこんなホテルに当たると、やはり嬉しいです。


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宿泊したホテル「ラ・メルセー」外観


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ホテルの屋上からは街が一望できる


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ホテルの部屋は雰囲気が良くて快適だ!

 

 景観の美しさで群を抜く街


 スクレの見どころというのは、あまりないのです。

 観光スポットとしては、ボリビアの独立宣言文への調印が行われた「自由の家」や宝石の衣装を着たマリア像が安置されているカテドラル(カトリックの大聖堂)などがありますが、特に面白い場所ではありません。現在、カテドラルは修復中なのか中に入れなくなっています。宝石のマリア像は35年前に見たことがあるのですが、期待するとちょっと残念な気持ちになると思います。

 では、「スクレは何がいいのか?」というと、街全体の美しさと雰囲気の良さと言えます。街の中心地区を植民地時代の建造物群が占めており、その多くがポトシの富をつぎ込んだ贅を凝らした作りになっているのです。また、歴史的な景観を守るために、街並みは条例で白に統一されており、統一感があって非常に美しいのです。写真が趣味の人にはフォトジェニックなスポットがたくさんあってたまらないでしょう。個人的な印象では、中南米に数多くあるコロニアル都市の中でも、景観の美しさでベスト5に入ると思います。


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ボリビアの独立宣言が調印された「自由の家」



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「自由の家」の内部。中央のガラス台の中に独立宣言文がある(レプリカ)


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スクレのシンボルとなっているカテドラルの塔

 

 街が一望できる南東の丘に行ってみることにしました。ポトシより低いとはいえ2800mの高地です。写真を撮りながら、ゆっくり坂道を登っていきました。碁盤の目状になった街路には古い建物が並んでおり、時が止まったような空間があちらこちらに見られます。


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中心から離れると古い家が並ぶ街路が多くなる


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南東の丘近くの街路も味がある


 天国気分を味わう!


 丘の上には、現在は博物館となっているラ・レコレータ修道院の建物があり、柱廊のある広場では学校帰りの子供たちが大勢遊んでいました。

 長さ20mほどある柱廊からは、赤瓦の屋根が折り重なるようにして広がるスクレの街がよく見えます。暑い日だったので、何か飲みたいと思って周りを見ると、柱廊の下の部分に小さな公園のようなものがありました。よく見ると、どうやら下にあるカフェの客が利用できるテラスのようです。早速、階段を下りてカフェに行くと、コーラを注文し、テラスに並んだリクライニングチェアーに寝転がりました。

 テラスは坂の途中にある上、周囲は花が咲き乱れる生垣に囲まれており、外から見られることがありません。椅子に寝転がると白い雲が浮かぶ青空が目の前に広がり、汗ばんだ肌にそよ風が気持ちよく吹いています。冷たいコーラで喉も潤い、あまりの気持ちよさにまどろんでしまいました。

 ポトシの地獄から天国に来た気分でした。



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南東の丘の上にある柱廊から街が一望できる


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柱廊の下にあるカフェテラス


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チェアに寝転がるとこんな感じに見える



 

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ポトシで地獄の鉱山ツアーに行く!

 2017-04-28


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 銀で栄えた植民都市ポトシ

 

  ウユニを後にして、ポトシに向かいます。

 ポトシは1545年に巨大銀山が発見されて以来、銀山から生み出される莫大な富による都市化がすすめられ、一時は人口20万に達する中南米一の大都市となったのです。しかし、19世紀になると銀の産出量が減少したことで多くの人がこの地を去り、20世紀後半にはすっかり忘れられた街となっていました。しかし、銀山からはいまだに少量の銀やスズなどの鉱物が産出されるため、そこで働く人たちがいるのです。

 ボリビア、あるいは南米の歴史を知ると、ポトシがいかに重要な場所であったか分かります。また、先住民を強制的に鉱山労働者として使役したことで、一説では800万人もの人たちが犠牲になったという悲惨な歴史があり、抑圧されたラテンアメリカの象徴とも言える場所なのです。

 

 ウユニからポトシへはバスで3時間半から4時間で行けます。

 朝8時半ころ、バス会社が集まっている地区に行くと、「ポトシ!9時発だよ」という呼び込みが聞こえました。複数のバス会社が時間をずらしてバスを出発させているので、ほぼ好きな時にバスに乗ることができます。料金は30ボリビアーノ(500円くらい)と安いです。

 バスは順調に走り12時半ころ旧バスターミナルに到着。ポトシには新旧二つのターミナルがあり、行き来する街によってターミナルが異なります。旧ターミナルは街の中心から比較的近いのですが、歩くには辛い距離です。前の道路を通るバスの運転手に「セントロ(中心地区)に行く?」と確認して乗りました。料金は1.5ボリビアーノ(20円くらい)で、ラパスと同じです。

 ただ、どこが中心地区か分かりません。しかも学校が終わる時間なのでしょう、車内はメチャ混みで、外もろくに見えないのです。近くの若者に「セントロは近い?」と聞くと、「僕も降りるから教えてやる」と言います。助かりました。

 地球の歩き方に出ていたオスタル(安ホテル)が中央広場から5分ほどの場所にあり、落ち着いたいい感じの建物だったので、そこに決めました。

 そこの経営者らしき中年の女性に「鉱山ツアーに行きたい」と言うと、「ツアーは2時からだからまだ間に合うけど、できれば明日の午前中の方がいい」と答えます。その理由は「午後は鉱道内に作業者があまりいないけど、午前中は仕事をしている人が多いから面白い」ということでした。実は、これが間違いの元だったのです。


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ポトシの中心街

 

 その日の午後は、ポトシ市内を見て歩きました。この町には35年前にも来たことがありますが、かなり変わりました。昔は、時代から取り残された古臭い町という感じで、長い時が多くの建物を押し潰そうとしているような、うらぶれた雰囲気が漂っていたものです。

 今は人口がかなり増えたのでしょう、町全体が大きくなり、主要な建物は綺麗に整備され、人々が行き来する街路も活気に満ちています。それでいて、古い建物が並ぶ歴史地区には時代を重ねた味わいが残っており、散歩していても楽しいです。ただ、都市の中では世界で最も高い標高4000mに位置するため、すぐに息が上がって、疲れるという問題はあります。

 町外れにあるセロ・リコ(富める丘)と呼ばれる巨大銀山は、中心地区からも見ることができます。草木も生えぬ茶色の山を見ながら、「明日は、その中に入って行くのだ」と思うと、怖いような気もしました。


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植民地時代に銀の鋳造を行っていた造幣局

 

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ポトシの繁華街は人がいっぱいだ!


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街外れに聳える鉱山の山セロ・リコ


 鉱山ツアーに出発!


 翌朝、オスタルで朝食を食べていると、オランダ人の陽気な自転車乗りおじさんが声をかけてきました。彼も「鉱山ツアーに参加する」と言います。そこで一緒にツアー会社に行き、ガイドに連れられて迎えのマイクロバスに乗りました。

 ツアーは全員で15人ほどいましたが、英語グループとスペイン語グループに分けると言うので、私と自転車おじさんはスペイン語グループを選択しました。

 出発前に、まずは着替えです。鉱山労働者と同じつなぎの作業着を着て、長靴をはき、頭にはライトがついたヘルメットをかぶります。次に、鉱山の麓の売店で、鉱道内で働く鉱夫たちへの土産として、清涼飲料とコカの葉のセット袋を一人1袋購入。それから、またマイクロバスに乗り、いよいよ鉱山に出発です。


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労働者に差し入するコカの葉と煙草を示すガイド。


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こんな格好で坑道に入る。


 セロ・リコに上る道をバスが走ると、間もなく「英語グループはここで降りて」とガイドが言います。スペイン語グループはそのままバスに乗って丘を上がっていきます。バスはかなり上まで走り続け、「下のグループとはこんなに坑道の場所が違うのか?」と思っていると、ガイドが「バスから降りろ」と言います。

 このガイドは女性なのですが、鉱山の中では女性は働くことができないそうです。ガイドとして働くのは問題ないのでしょうが、一抹の不安を感じました。

 歩いて坑道の入り口に行くと、鉱石を運ぶトロッコを押す数人の鉱夫たちがトンネルに入ろうとしています。彼らに続いて、ガイドを先頭に、水がたまり泥だらけの道が続く狭い穴に入って行きました。


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坑道の入り口でトロッコを押す労働者たち。


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いよいよ坑道に入って行く。


 鉱夫たちの守り神ティオに参拝


 天井が低いため、腰をかがめて歩くのですが、上から岩や支柱の木材がやたら飛び出しているために、時々、ヘルメットに勢いよくぶつかります。何度もぶつかると、首にまで衝撃が来て、くらくらします。慣れると、ぶつかる頻度が減りますが、油断していると横木がもろにヘルメットに衝突。その強い衝撃を頭全体に受け、歯を食いしばって唸りました。

 狭くて暗い坑道内を15分ほど歩くと、横穴があり、その奥に赤鬼のような像が鎮座しています。「ティオ」と呼ばれる鉱夫たちの守り神です。鉱夫たちは、作業前にティオにタバコや酒、コカの葉を捧げ、作業の安全を祈願するのです。

 私たちはティオの前に並んで座り、ガイドから説明を受けました。鉱道内には埃が充満し、温度も湿度も高いのです。最初は話を興味深く聞いていたのですが、マスクをしていたため次第に息苦しくなりました。そこでマスクを外してみると、粉塵と異様な臭いが鼻を突き、ますます苦しくなったのです。ガイドは「火薬が燃えた匂いだ」と言います。鉱夫たちは自分で購入したダイナマイトを坑道の奥で爆発させて鉱石を粉砕しているのです。





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ティオの前で長い説明を受ける


 ちなみに、鉱夫が作業している所にこのようなツアーが入って行けるのは、鉱山会社が管理しているのではなく、働きたければ鉱山労働者の組合に加入するだけでOKという場所だからなのです。鉱夫は働いて得た鉱物によって収入が決まる自営業者で、何があっても自己責任。健康保険も事故の補償もありません。ツアーで坑道に入る者も基本的に同じです。

 ガイドの説明は長く、息苦しさと暑さで、次第に集中力が失われ、苛立って来ました。ようやく説明が終わった時、参加者の一人が簡単な質問をしました。すると、ガイドは鉱山の歴史をインカ時代から説明し始めたのです。

 「かんべんしてくれ」と思いました。ティオの前にいた時間はやたら長く感じましたが、たぶん20分くらいだったと思います。

 この時点で「もう、鉱道内を這いまわるのは十分」という感じでしたが、ツアーはここからが本番だったのです。

 狭い洞窟内を、腰を曲げたままで歩き続けるのは辛いです。しかも、時々、穴が小さくなって這いずるようにして進まなくてはならない場所もあります。息苦しさと蒸し暑さに疲労感が加わり、冷や汗が止まらなくなりました。


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怖ろしく狭い場所も潜り抜ける。


 ようやく少し広い坑道に出ると、トロッコが走って来る音が聞こえます。ガイドが「危ないからよけて!」と叫びます。よけてと言われても、狭い穴ですから場所がありません。仕方なく、岩壁にピッタリと貼りついていると、すぐ脇を二人の男に押されたトロッコが猛スピードで走り抜けました。そのトロッコが左右に揺れながら走っているため、私の足からギリギリの所をかすめたのです。ぶつかれば確実に大怪我です。思わず、安どのため息をつきました。

 さらに坑道を奥に進むと、途中で作業をしている人たちに出会いました。坑道の横で穴を掘っているのですが、すごい埃が充満しています。作業者はガスマスクの重装備ですが、この環境なら当然です。一方、ツアー参加者はネッカチーフや普通のマスクで口を覆っただけですからたまりません。作業者に持参したお土産を渡すと、さらに奥へと進んでいきました。

 

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鉱道内をどこまでも進む。


 

どこまで行くんだ!

 

 鉱道内は大きな蟻の巣のようです。人が押すトロッコが走れるだけの丸い穴が迷路のように掘られていて、あちこちで別の穴と交差しています。ヘルメットのライトだけを頼りに真っ暗な場所を進むのですから、今自分たちがどの辺にいるのか、出口に向かっているのか、奥に進んでいるのかも分かりません。1時間以上経過し、いい加減「俺はもう帰る!」と言いたいところですが、一人ではぜったいに出口に辿り着かないでしょう。

 しかし、歩いていればまだいいのです。狭い場所でトロッコに鉱石を積み込む作業をやっている人がいると、その作業が終わるまで待たなくてはならないのです。舞い上がる粉塵の中で、息苦しさに耐えながらしゃがみ込んでジッと待っていると、次第に苛立ちが抑えられなくなります。なぜなら、作業がいつ終わるのかわからないし、終わったらさらに穴の奥に進むのですから、戻る時にまた作業が終わるのを待つ可能性が高いわけです。そんなことをしていたら、2時間でも3時間でもこの穴蔵に閉じ込められることになりかねません。

 考えすぎて、プチパニックになりかけた時、作業が終わり、トロッコが走り出しました。「もう帰ろうよ」と言いたかったのですが、黙々とガイドの後に従って歩いている参加者たち(男女6人)を見ると、もう少し我慢してみようという気になりました。


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時々トロッコに鉱石を積み込む作業をしている。


 ガイドはさらに穴の奥に入って行きます。私は、「ひょっとしたら、この先に出口があるのではないか?」という思いになりました。いくらなんでも、これ以上辛い経験をさせるツアーをするはずがないと考えたからです。しかし、それは甘い考えでした。

 先に進むほど穴は狭くなり、腰を曲げて歩くのも限界と思い始めたころ、突当りに辿り着いたのです。そこには落盤防止の木枠が組んであり、斜め上の方に掘り進んでいる作業者がいるようでした。トロッコが入れるようにレールもあります。

 ガイドは「ここでしばらく待ちます」と言うのです。「どうして?」と聞くと、「間もなくトロッコがやって来て、鉱石を積み込みます。ここは狭くて体を避ける場所がないので、その作業が終わって、トロッコが出てから戻ります」と言うのです。


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掘った場所を見るといろいろな鉱物が含まれているのが見える。



 上から石が落ちて来る! 


 いったいどのくらい待たなければならないのかガイドもわからないのですから、私はあきれました。ガイドなら、そんなことは、ここに来るまでに分かっていたはずですから、無理にここまで入ってこなくても、途中でいくらでも戻れたはずです。「ガイドは鉱山労働の厳しさや苦しさを、のんきなツアー参加者にたっぷり味合わせてやろうと思っているな」と私は思いました。

 しかし、私たちにはどうしようもありません。仕方なく、そこにしゃがみ込んでいると、上の方から石がゴロゴロと転がり落ちてきたのです。上の作業者がトロッコに積み込む鉱石を落としているようです。危ないと思った私は、近くにあったシャベルを使って石が足に当たるのを防ぎました。シャベルに石が当たるカンカンという音が響き、ガイドは上に向かって「すみません!人がいるんです、石を落とさないで!」と叫んでいました。

 10分ほどそこにいましたが、トロッコが来る気配がありません。閉所恐怖症の人なら発狂しているでしょう。ガイドは「来ないね・・・戻りましょうか」と言います。「それがいいね!」と私も応じました。



帰り道に出会った労働者たち。石には銀があると言っていた。


 しかし、帰り道がまた大変でした。途中で作業をしている人たちがいたり、トロッコが走って来たりして、何度も粉塵や異臭のするガスを吸い続けながら待たなくてはならないのです。おしゃべりだったオランダ人のおじさんもすっかり黙りこくり、泥水の中で膝を抱えて座り込んでいます。トロッコが通り過ぎた後で、その肩をポンポンと叩いてやると、疲れた笑顔を見せながら頷きました。

 ようやく出口の光が見えた時は、救われた思いでした。「鉱山ツアーはそんなに大変ではない」という人がいましたが、本当にこれを大変じゃないと言えるのかと思いました。もちろん、人には体力差があり、穴蔵や閉所が好きな人や、精神的にも強靭な人がいます。ただ、同じ鉱山ツアーでも、英語グループのルートは場所も違うし、時間も短く、それほど大変ではなかったようです。さらに、もし、午後のツアーに参加していたら、作業者が少なく、鉱道内の作業待ちやトロッコの通過待ちも少なくなるわけですから、もっと楽だったのかもしれません。


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坑道の外からポトシ市街を望む


 いずれにしろ、無事戻れたのですから、いい経験になりました。地下の坑道の厳しさを体験したことで、そこで毎日働く人たちの苦労も少しは感じることができたわけです。生まれた場所が異なるだけで、面白半分に坑道に入るツアー客と、生きるためにそこで働き続けなければならない人達の違いが生じてしまうという現実。それをどう受け止めればいいのか、考えるきっかけにもなりそうです。


 

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