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インカ皇帝終焉の地、伝説の都市カハマルカ

 2013-01-30
 暑く乾燥した海岸部の都市トルヒーヨを離れ、標高3700mの山中にあって涼しく雨が多い街カハマルカにやってきました。
 ここは、スペイン人がペルーに侵入したとき、インカ皇帝アタワルパが滞在していたインカ帝国の主要都市でした。高地民族であるインカ族は標高が高いところが好きなのですね。

カハマルカ1
かなりの山奥にあるコロニアル都市カハマルカ


 海岸部から進軍したスペイン人はカハマルカでインカ皇帝と会見すると欺いて、皇帝を捕らえてしまいます。皇帝はスペイン人が黄金に異様な執着を持っていることを知ると、部屋いっぱいの黄金を差し出す代わりに自分を解放するように言います。しかし、スペイン人は莫大な黄金を手に入れながら、皇帝を殺してしまいます。

 そして、インカの壮麗な都市だったカハマルカを徹底的に破壊し尽くし、その後に自分たちの植民都市を築いたのです。現在、ペルーでこれだけ完全な形で残っているコロニアル都市は他にはあまりないと思います。年を経た街路の美しさはクスコを凌ぐほどです。

カハマルカ2
中央広場はコロニアル様式の建物に囲まれている。


 前述のようにスペイン人が完全に破壊してしまったため、周辺にはインカの遺跡はありません。ただ、もっと古い時代の遺構が残っている場所はあります。

 その一つが、クンベ・マヨという場所にある水路です。岩を削り、穴を掘って延々9km以上も続く水路は、古くは紀元前1000年ころから建設が始まったとされています。ただ、ローマの水道橋のような建築物ではないので、それを見ても大して面白くはありません。ここは、巨岩、奇岩が作り出す壮麗な景観を楽しむところで、大勢の観光客がピクニック気分で訪れます。

 もう一つは、オトゥスコというプレインカ(インカ以前)の人たちが作った墓の跡です。岩山に窓のような四角い穴がいくつもあけられ、紀元前から死者を葬る場所となっていたそうです。ここも、スペイン人が墓を暴き中のものを取り出してしまったそうです。中に価値あるものが入っているのではないかと考えたことと、地元の人たちの祖先信仰を否定する意味があったそうです。

オトゥスコ
古代人が作った墓であるオトゥスコ

 ここも、岩に穴があいているだけですから、あまり面白くないですね。ツアーもこれだけではもたないので、釣り橋に行ったり、チーズ工場や紫陽花の庭を訪ねたりします。

 カハマルカでインカに縁の場所と言えば、なんと言ってもバーニョス・デル・インカ(インカの温泉)です。
 市内から車で15分くらいの所に温泉が湧く場所があるのですが、ここはかってインカ皇帝が温泉浴の為によく訪れたそうです。現在は、温泉を利用したレジャー施設が作られており、温泉プール、個室風呂、サウナ、マッサージなどが利用できます。

 こういうところでは個室風呂を楽しみたいのですが、露天風呂というものがなく、窓もない狭い部屋で風呂に入ることになります。それは嫌だったので、温泉プールに入ることにしました。
 チケットを買おうとすると、チケット売りの人が「プールは入れ替え制で、1時間以上待つ必要がある」と言います。そこで、「泳がないので、中に入るだけならいいか」と聞くと、「じゃあ3ソーレス」と言われチケットを買いました。

 しかし、3ソーレスというのはプールを利用する価格です。そこで、プールの所で入場制限をしている人に、試しに「このチケットでプールに入れるか?」と聞くと、「入れるよ」と言われました。つまり、待たなくてもプールに入れたわけです。どうなっているのかよくわからないけど、待たずに温泉プールを楽しめたのはラッキーでした。もちろん、柵の外で待っている人たちもいました。

 一般的なペルーのプールは少し汚い感じがするのですが、このプールはかなり清潔で気持ちよく、プールサイドのデッキチェアーに寝転がって日光浴をすると、リラックスしたレジャー気分が楽しめました。

インカ温泉
インカの温泉にある温泉プール

 結局、この街には3日間いましたが、古く落ち着いた街の雰囲気が良く、レストランやカフェテリアなども充実しているため、かなり居心地がいいところでした。そのため、旅に出る時は、できればこの街にもう少し居たいという気持ちになったものです。

ピザ
チーズの産地であるカハマルカにはピザ屋も多い。これはチーズ、ハム、チキン、パインをのせたピザ・カハマルカ。



 次はチクラヨ周辺の遺跡を訪ねます。

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