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知られざる巨大遺跡オリャンタイタンボを訪ねる

 2013-02-22
 クスコの北に広がる「インカの聖なる谷」の中に点在するインカの遺跡の中で最大のものがオリャンタイタンボです。

 規模でも、質でも、マチュピチュを凌ぐ遺跡にも関わらず、以前はほとんど訪れる人がいない場所でした。ところが、聖なる谷の開発と数年前に起きた土砂崩れによるマチュピチュ鉄道の路線変更がオリャンタイタンボを多くの人が訪れる観光地に変えました。

オリャンタイタンボ1
谷間に広がるオリャンタイタンボ村


 以前のマチュピチュ鉄道はクスコ市内の駅から出発していたのですが、土砂崩れが起きてからは、多くの列車がオリャンタイタンボ駅からの出発に変わりました。このため、ツアー旅行では、オリャンタイタンボや周辺の町に宿泊し、この遺跡も見学コースに入れるようになったのです。

 私にとって25年振りのオリャンタイタンボです。「ここは以前とは大きく変わった」と聞きましたが、それはクスコ周辺はどこも同じです。

 クスコからコレクティーボ(乗り合い自動車)を利用して、約1時間半でオリャンタイタンボに着きます。ミニバンのコレクティーボは猛スピードで聖なる谷の曲がりくねった道路を走り抜けます。無理な追い越しをする時は恐ろしくなりますが、運転手は平気な顔です。心の中で「事故が起きませんように」と祈りながら、任せるしかありません。

 無事オリャンタイタンボに着き、ホテルを探しました。以前は数少ない車が時折通るだけの僻地の村で、中央広場には先住民の女性が営む土壁の食堂が1軒あっただけでした。しかし、今は広場にはツアーの車や観光バスが列をなし、その横を大勢の観光客がゾロゾロと歩いています。広場の周囲はレストランだらけで、店の前に置かれたテーブルでは白人の旅行者達がビールを飲みながら談笑していたりします。

 私は灼けるような日差しのせいもあって疲労を覚え、近くのホテルに入り部屋があるか尋ねました。すると「水がないから泊めることはできない」と言うのです。そこで「水がないのはこのホテルだけか、村全体か?」と聞くと、「村全体だ」と答えるのです。

 聞くと「昨日の大雨で村の橋と水道管が壊れてしまったため当分水は来ない」というのです。近くの川は雨量が増えたせいで轟々と水が流れているのに、村は水不足で干上がっていたというわけです。ここであきらめて、別の村に行けば良かったのですが、「水がなくてもいいから泊めてくれ」と言ってしまいました。これが大きな失敗でした。

 ホテルに荷物を置き、すぐ近くにあるオリャンタイタンボ遺跡に向かいました。山の斜面に作られた巨大な遺跡は遠目には以前とほとんど変わりません。しかし、遺跡に行く道筋には土産物屋が立ち並び、遺跡の入り口は立派な建物になっています。

 遺跡に入ると、大勢の観光客でどこも写真撮影の嵐です。私はできるだけ人が少ない場所を選んで歩きましたが、急な山の斜面に作られた広大な遺跡にも関わらず、人がいないところはほとんどありません。

オリャンタイタンボ2
夕方になり、遺跡の中にいる人がかなり減った状態。

 この遺跡の見所は、インカの石加工技術の凄さです。「石をまるで豆腐のように切る」と表現した人がいますが、大きな石を自在に切っているところを見ると、感嘆します。また、インカが得意とする石組みの技術を用いた城壁はクスコの有名な石垣に劣らない素晴らしいものです。

オリャンタイタンボ4
隙間なく組み合わされた美しい石垣


 そして、ハイライトは山の上に置かれた巨石の石組みです。四角に切った6つの巨石の間に薄い石の板を挟み込んで巨大な石壁に仕上げているのですが、この石はこの山のものではなく、かなり離れた対岸の山から切り出してここまで運び上げたそうです。

オリャンタイタンボ3
巨大な石を組み合わせた神殿の壁


 エジプトのピラミッドのような形で大きな石を運ぶことは古代でも可能だったでしょう。しかし、オリャンタイタンボは急な山の斜面にある上、いくつかの石は一つ100トン以上もあるそうです。鉄を知らなかった文明が、そんな重い石をどうやってここまで引きずり上げたのか大きな謎です。

 こんなに素晴らしいものがここにあるのは、インカにとってオリャンタイタンボは非常に重要な拠点都市だったっからです。スペイン人と武力衝突した後クスコから脱出したインカ皇帝マンコ・インカも、当初ここに立てこもりました。

 こうした石組みや巨石は興味を持ってみると凄く面白いのですが、ほとんどの人はあまり気にもとめていないようで、みんな、景色の良い場所で記念写真を撮るのに夢中です。私は写真を撮るために人が減るのを待ちましたが、観光客は列をなして山を登り途切れることはありません。

 これを見ていると、マチュピチュはもっと凄いだろうなと思います。折しも、アンデスの山岳部は雨季で連日かなりの量の雨が降りました。その雨が川に流れ込みマチュピチュ周辺の水かさが異常に増していました。このため、管理当局がマチュピチュに観光客を入れるのは危険と判断し二日間入場停止になったのです。つまり、翌日の開場を待ってマチュピチュを目指す観光客がオリャンタイタンボに溢れていたというわけです。

 遠くからやってきた観光客が必死でマチュピチュを目指すのは当然ですが、大勢の観光客を見た私はまったく行く気がなくなりました。それより、オリャンタイタンボを楽しんで帰ろうと、観光客が減る6時ころまで山の上に留まって、美しい周囲の景色の変化を楽しみました。

オリャンタイタンボ5
オリャンタ村の路地を奥に入った所。この辺は今でも昔の風情を守っている。


 問題はここからでした。ホテルに帰ると水が出ませんからトイレが流れないのです。もちろん、村中、どこのトイレもだめです。遺跡の公衆便所も使用停止ですから、大勢の女性たちは青くなっていました。

 私は適当な場所で用を足してレストランに夕食に出かけました。名物の鱒料理を食べたのですが、鱒が少し生臭く感じたのです。

 翌朝、起きたら体がだるいのです。そして下痢が始まりました。流れないトイレと下痢の組み合わせは最悪です。下痢止め薬を飲んだ私は、全ての予定をキャンセルし、急いでクスコに戻りました。体がふらつき、帰りの車中はほとんど意識朦朧としていました。

 とんでもないことになりましたが、食あたりはそれほどひどくなく、丸一日寝たら元気になりました。それには宿泊していた日本人のペンションでお粥や梅干しを用意してくれたお陰が大きいのです。やっぱり、困ったときは日本人と日本食ですね。

 
 次はチンチェロ遺跡に向かいます。



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