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アグアテカ遺跡に行く!

 2015-03-08
 旅行社の男性が言った通り、朝7時に川べりに行くと、小型のアルミボートが用意されていました。ただ、もう一人の客が来たのは8時過ぎのことです。「これなら、8時でよかったのに」と思いながら、ボートに乗り込みました。昨日の男性は「自分は遺跡のガイドもやっている」と自己紹介します。そして、「ツアー代金は600Qだが、あなた方が遺跡のガイドを希望するなら、私が特別に100Qでやるが、どうだ?」と聞くのです。

 ガイドなしで、知らない遺跡に行っても駄目なのはワシャクトゥンで分かっています。北欧から来たと言う、もう一人の若い男性客も「いいよ」というので、ガイドを頼むことにしました。これで、ツアー代は一人350Qになりました。

 小型ボートは川幅20mほどあるパッション川を快調に飛ばしていきます。気温はそれほど低くないのですが、冷たく、強い川風を受け続けるためかなり寒いです。川には多くの水鳥がいて、ボートのエンジン音に驚いて、次々に飛び立っていきます。その多くは、白鷺や川鵜ですが、時々、カワセミらしき小型の美しい鳥も飛んでいました。

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パッション川からペテシュバトゥン湖に入る。


 40分ほどで、川幅が大きく広がる場所に出ました。ペテシュバトゥン湖です。西暦600年ころから、この周辺地域にはマヤの都市がいくつも建設され始めるのですが、アグアテカもその一つです。この時代、マヤは日本の戦国時代に似た、群雄割拠の状態になっており、二大勢力として張り合っていたたのがティカルとカラクムル(メキシコの世界遺産)です。アグアテカは、この近くにあるドス・ピラスにティカルの覇権戦略に従って派遣された王の子によって建設が進められ、二つの都市を有する新しい王朝が成立したのです。

 広い湖を進むと、原生林に覆われた美しい岸辺が見え、木の上にペリカンが巣を作っていました。さらに進むと、前面一帯が雑木林で覆われている場所になり、そこに向かってボートは進んでいきます。林の中には、小型ボートがやっと通れるくらいの狭い水路があり、そこを抜けるのです。操縦するガイドは慣れた感じでどんどん進みますが、広大な林の中は水路が入り組んでおり、ルートを熟知していないと迷ってしまうと思います。後から聞くと、このガイドはアグテカ遺跡発掘の手伝いをしていたそうで、毎日、ここをボートで通っていたそうです。

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木の上に巣があるペリカンたち。

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大きなワニもいました。


 水路を走ること15分ほどで、水面が開けた場所に出ました。前方に緑に包まれた小高い丘が見えます。これがアグアテカ遺跡の入り口です。岸から泥道の急坂を上ると、監視小屋がありました。ここで入場の記帳をして、ガイドを先頭に先に進みます。

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遺跡に到着。

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遺跡の入り口には看板が立っている。

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植物も神秘的な感じだ。


 アグアテカ遺跡の最大の特徴は、巨大な地溝を利用した都市作りがされていることです。地溝は、地面が動くことによってできる断層で、見学路は垂直にそそり立つ巨大な断層壁に沿って設けられています。そこを進むと展望台に出ます。そこから、林に覆われた広大な湖と、その中にあるボートが進んできた水路を見ることができます。

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断層壁に沿って進む。

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展望台からボートで走ってきた水路が見える。


 先に進むと、ガイドが「地溝の底に降りる」と言います。そこは、切り立った崖に挟まれた幅数mの溝で、深さが30mあります。ちなみに深い地溝になると70mはあるそうです。地溝の中は薄暗い洞窟のような感じです。地面が裂けた際に転がった大きな石ががごろごろしていますから、歩きにくくて仕方ありません。しかし、地球の神秘というような感じがして、探検気分が盛り上がります。

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深さ30mの地溝の底へ。


 地溝を抜けると、いよいよ遺跡です。ここもワシャクトゥンと同じで、巨大なピラミッド神殿などはなく、小型の神殿や宮殿、住居跡などが森の中に点在しています。実は、この遺跡を発掘したのは、日本人の猪俣健氏(アリゾナ大学人類学部教授)です。ガイドは猪俣氏とともに行った遺跡発掘がいかに大変だったか話してくれました。

 遺跡の最初の見所は、宮殿グループにある王家の宮殿(Palasio de la Familia Real)です。文字通り、王が住んでいた石屋根を持つ立派な家で、きれいに修復されています。

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宮殿グループの広場に面して王家の宮殿がある。

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王家の宮殿を上から見たところ。


 先述した通り、アグアテカはドス・ピラスと同じ王の支配下で王朝を築いたのですが、ティカルから派遣されたこの王がティカルに反旗を翻したのです。策士であった王は様々な手を使って勢力を拡大していきますが、時代が移り西暦800年を過ぎると、王朝は衰退してしまいます。すると、周囲の敵国はアグアテカを滅ぼそうと、地溝を利用して作った防御線を乗り越えて攻撃してきます。王と家族がここから逃げ出した後も、貴族たちはこの地を守ろうと抵抗していたのですが、とうとう敵の侵入を許し、支配階層は捉えられて連れ去られました。そして、庶民層もここから追放されて、都市は廃墟となったのです。

 実は、こうした最後を迎えた都市は珍しいようなのです。マヤの多くの都市は、王朝が衰退すると、少しずつ人々が移動を始め、一定期間を経た後に放棄されます。その過程で、生活道具は運び出され、生活の跡は消えてしまいます。ところが、ここでは支配層が逃げたり、連れ去られたままの状態が残ったのです。このため、アグアテカはマヤの支配階級の生活を研究するのに適した遺跡として注目されているそうです。

 次は、メイン・プラザ(La Plaza Principal)です。ここには、小型のピラミッド型神殿や統治機構の建物群が集まっています。最も特徴的な建造物は、王朝の神殿(Templo Dinastico)と呼ばれる、小型の神殿で、その前には2本の石碑が立っています。王の姿がハッキリと刻まれていますが、これはイミテーションです。

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王朝の神殿と、その前に立つ石碑。


 マヤの石碑には王の姿とともに、マヤ語で石碑の意味が記されています。マヤ文字の解読が進み、この石碑の意味も分かっています。それによると、735年にウチャン・キン・バラム王が、対立していたセイバルとの戦いに勝利したことを記念したもので、王の足元には、捕らえたセイバルの王が縛られています。

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石碑には王の姿とともにマヤ文字で説明が加えられている。

 アグアテカは決して大きな遺跡ではありませんし、建造物の修復もほとんどされていませんが、周囲の美しい自然や巨大な地溝と神秘的な遺跡の組み合わせは、結構いい感じだと思います。ボートで行く遺跡は、メキシコのヤシチュランとベリーズのラマナイに次いで三カ所目ですが、遺跡はともかく、途中の自然の美しさやボートツアーの楽しさは心に残りました。


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タグ : アグアテカ
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