ポトシで地獄の鉱山ツアーに行く!
銀で栄えた植民都市ポトシ
ウユニを後にして、ポトシに向かいます。
ポトシは1545年に巨大銀山が発見されて以来、銀山から生み出される莫大な富による都市化がすすめられ、一時は人口20万に達する中南米一の大都市となったのです。しかし、19世紀になると銀の産出量が減少したことで多くの人がこの地を去り、20世紀後半にはすっかり忘れられた街となっていました。しかし、銀山からはいまだに少量の銀やスズなどの鉱物が産出されるため、そこで働く人たちがいるのです。
ボリビア、あるいは南米の歴史を知ると、ポトシがいかに重要な場所であったか分かります。また、先住民を強制的に鉱山労働者として使役したことで、一説では800万人もの人たちが犠牲になったという悲惨な歴史があり、抑圧されたラテンアメリカの象徴とも言える場所なのです。
ウユニからポトシへはバスで3時間半から4時間で行けます。
朝8時半ころ、バス会社が集まっている地区に行くと、「ポトシ!9時発だよ」という呼び込みが聞こえました。複数のバス会社が時間をずらしてバスを出発させているので、ほぼ好きな時にバスに乗ることができます。料金は30ボリビアーノ(500円くらい)と安いです。
バスは順調に走り12時半ころ旧バスターミナルに到着。ポトシには新旧二つのターミナルがあり、行き来する街によってターミナルが異なります。旧ターミナルは街の中心から比較的近いのですが、歩くには辛い距離です。前の道路を通るバスの運転手に「セントロ(中心地区)に行く?」と確認して乗りました。料金は1.5ボリビアーノ(20円くらい)で、ラパスと同じです。
ただ、どこが中心地区か分かりません。しかも学校が終わる時間なのでしょう、車内はメチャ混みで、外もろくに見えないのです。近くの若者に「セントロは近い?」と聞くと、「僕も降りるから教えてやる」と言います。助かりました。
地球の歩き方に出ていたオスタル(安ホテル)が中央広場から5分ほどの場所にあり、落ち着いたいい感じの建物だったので、そこに決めました。
そこの経営者らしき中年の女性に「鉱山ツアーに行きたい」と言うと、「ツアーは2時からだからまだ間に合うけど、できれば明日の午前中の方がいい」と答えます。その理由は「午後は鉱道内に作業者があまりいないけど、午前中は仕事をしている人が多いから面白い」ということでした。実は、これが間違いの元だったのです。
ポトシの中心街
その日の午後は、ポトシ市内を見て歩きました。この町には35年前にも来たことがありますが、かなり変わりました。昔は、時代から取り残された古臭い町という感じで、長い時が多くの建物を押し潰そうとしているような、うらぶれた雰囲気が漂っていたものです。
今は人口がかなり増えたのでしょう、町全体が大きくなり、主要な建物は綺麗に整備され、人々が行き来する街路も活気に満ちています。それでいて、古い建物が並ぶ歴史地区には時代を重ねた味わいが残っており、散歩していても楽しいです。ただ、都市の中では世界で最も高い標高4000mに位置するため、すぐに息が上がって、疲れるという問題はあります。
町外れにあるセロ・リコ(富める丘)と呼ばれる巨大銀山は、中心地区からも見ることができます。草木も生えぬ茶色の山を見ながら、「明日は、その中に入って行くのだ」と思うと、怖いような気もしました。
植民地時代に銀の鋳造を行っていた造幣局
ポトシの繁華街は人がいっぱいだ!
街外れに聳える鉱山の山セロ・リコ
鉱山ツアーに出発!
翌朝、オスタルで朝食を食べていると、オランダ人の陽気な自転車乗りおじさんが声をかけてきました。彼も「鉱山ツアーに参加する」と言います。そこで一緒にツアー会社に行き、ガイドに連れられて迎えのマイクロバスに乗りました。
ツアーは全員で15人ほどいましたが、英語グループとスペイン語グループに分けると言うので、私と自転車おじさんはスペイン語グループを選択しました。
出発前に、まずは着替えです。鉱山労働者と同じつなぎの作業着を着て、長靴をはき、頭にはライトがついたヘルメットをかぶります。次に、鉱山の麓の売店で、鉱道内で働く鉱夫たちへの土産として、清涼飲料とコカの葉のセット袋を一人1袋購入。それから、またマイクロバスに乗り、いよいよ鉱山に出発です。
労働者に差し入するコカの葉と煙草を示すガイド。
こんな格好で坑道に入る。
セロ・リコに上る道をバスが走ると、間もなく「英語グループはここで降りて」とガイドが言います。スペイン語グループはそのままバスに乗って丘を上がっていきます。バスはかなり上まで走り続け、「下のグループとはこんなに坑道の場所が違うのか?」と思っていると、ガイドが「バスから降りろ」と言います。
このガイドは女性なのですが、鉱山の中では女性は働くことができないそうです。ガイドとして働くのは問題ないのでしょうが、一抹の不安を感じました。
歩いて坑道の入り口に行くと、鉱石を運ぶトロッコを押す数人の鉱夫たちがトンネルに入ろうとしています。彼らに続いて、ガイドを先頭に、水がたまり泥だらけの道が続く狭い穴に入って行きました。
坑道の入り口でトロッコを押す労働者たち。
いよいよ坑道に入って行く。
鉱夫たちの守り神ティオに参拝
天井が低いため、腰をかがめて歩くのですが、上から岩や支柱の木材がやたら飛び出しているために、時々、ヘルメットに勢いよくぶつかります。何度もぶつかると、首にまで衝撃が来て、くらくらします。慣れると、ぶつかる頻度が減りますが、油断していると横木がもろにヘルメットに衝突。その強い衝撃を頭全体に受け、歯を食いしばって唸りました。
狭くて暗い坑道内を15分ほど歩くと、横穴があり、その奥に赤鬼のような像が鎮座しています。「ティオ」と呼ばれる鉱夫たちの守り神です。鉱夫たちは、作業前にティオにタバコや酒、コカの葉を捧げ、作業の安全を祈願するのです。
私たちはティオの前に並んで座り、ガイドから説明を受けました。鉱道内には埃が充満し、温度も湿度も高いのです。最初は話を興味深く聞いていたのですが、マスクをしていたため次第に息苦しくなりました。そこでマスクを外してみると、粉塵と異様な臭いが鼻を突き、ますます苦しくなったのです。ガイドは「火薬が燃えた匂いだ」と言います。鉱夫たちは自分で購入したダイナマイトを坑道の奥で爆発させて鉱石を粉砕しているのです。
ティオの前で長い説明を受ける
ちなみに、鉱夫が作業している所にこのようなツアーが入って行けるのは、鉱山会社が管理しているのではなく、働きたければ鉱山労働者の組合に加入するだけでOKという場所だからなのです。鉱夫は働いて得た鉱物によって収入が決まる自営業者で、何があっても自己責任。健康保険も事故の補償もありません。ツアーで坑道に入る者も基本的に同じです。
ガイドの説明は長く、息苦しさと暑さで、次第に集中力が失われ、苛立って来ました。ようやく説明が終わった時、参加者の一人が簡単な質問をしました。すると、ガイドは鉱山の歴史をインカ時代から説明し始めたのです。
「かんべんしてくれ」と思いました。ティオの前にいた時間はやたら長く感じましたが、たぶん20分くらいだったと思います。
この時点で「もう、鉱道内を這いまわるのは十分」という感じでしたが、ツアーはここからが本番だったのです。
狭い洞窟内を、腰を曲げたままで歩き続けるのは辛いです。しかも、時々、穴が小さくなって這いずるようにして進まなくてはならない場所もあります。息苦しさと蒸し暑さに疲労感が加わり、冷や汗が止まらなくなりました。
怖ろしく狭い場所も潜り抜ける。
ようやく少し広い坑道に出ると、トロッコが走って来る音が聞こえます。ガイドが「危ないからよけて!」と叫びます。よけてと言われても、狭い穴ですから場所がありません。仕方なく、岩壁にピッタリと貼りついていると、すぐ脇を二人の男に押されたトロッコが猛スピードで走り抜けました。そのトロッコが左右に揺れながら走っているため、私の足からギリギリの所をかすめたのです。ぶつかれば確実に大怪我です。思わず、安どのため息をつきました。
さらに坑道を奥に進むと、途中で作業をしている人たちに出会いました。坑道の横で穴を掘っているのですが、すごい埃が充満しています。作業者はガスマスクの重装備ですが、この環境なら当然です。一方、ツアー参加者はネッカチーフや普通のマスクで口を覆っただけですからたまりません。作業者に持参したお土産を渡すと、さらに奥へと進んでいきました。
鉱道内をどこまでも進む。
どこまで行くんだ!
鉱道内は大きな蟻の巣のようです。人が押すトロッコが走れるだけの丸い穴が迷路のように掘られていて、あちこちで別の穴と交差しています。ヘルメットのライトだけを頼りに真っ暗な場所を進むのですから、今自分たちがどの辺にいるのか、出口に向かっているのか、奥に進んでいるのかも分かりません。1時間以上経過し、いい加減「俺はもう帰る!」と言いたいところですが、一人ではぜったいに出口に辿り着かないでしょう。
しかし、歩いていればまだいいのです。狭い場所でトロッコに鉱石を積み込む作業をやっている人がいると、その作業が終わるまで待たなくてはならないのです。舞い上がる粉塵の中で、息苦しさに耐えながらしゃがみ込んでジッと待っていると、次第に苛立ちが抑えられなくなります。なぜなら、作業がいつ終わるのかわからないし、終わったらさらに穴の奥に進むのですから、戻る時にまた作業が終わるのを待つ可能性が高いわけです。そんなことをしていたら、2時間でも3時間でもこの穴蔵に閉じ込められることになりかねません。
考えすぎて、プチパニックになりかけた時、作業が終わり、トロッコが走り出しました。「もう帰ろうよ」と言いたかったのですが、黙々とガイドの後に従って歩いている参加者たち(男女6人)を見ると、もう少し我慢してみようという気になりました。
時々トロッコに鉱石を積み込む作業をしている。
ガイドはさらに穴の奥に入って行きます。私は、「ひょっとしたら、この先に出口があるのではないか?」という思いになりました。いくらなんでも、これ以上辛い経験をさせるツアーをするはずがないと考えたからです。しかし、それは甘い考えでした。
先に進むほど穴は狭くなり、腰を曲げて歩くのも限界と思い始めたころ、突当りに辿り着いたのです。そこには落盤防止の木枠が組んであり、斜め上の方に掘り進んでいる作業者がいるようでした。トロッコが入れるようにレールもあります。
ガイドは「ここでしばらく待ちます」と言うのです。「どうして?」と聞くと、「間もなくトロッコがやって来て、鉱石を積み込みます。ここは狭くて体を避ける場所がないので、その作業が終わって、トロッコが出てから戻ります」と言うのです。
掘った場所を見るといろいろな鉱物が含まれているのが見える。
上から石が落ちて来る!
いったいどのくらい待たなければならないのかガイドもわからないのですから、私はあきれました。ガイドなら、そんなことは、ここに来るまでに分かっていたはずですから、無理にここまで入ってこなくても、途中でいくらでも戻れたはずです。「ガイドは鉱山労働の厳しさや苦しさを、のんきなツアー参加者にたっぷり味合わせてやろうと思っているな」と私は思いました。
しかし、私たちにはどうしようもありません。仕方なく、そこにしゃがみ込んでいると、上の方から石がゴロゴロと転がり落ちてきたのです。上の作業者がトロッコに積み込む鉱石を落としているようです。危ないと思った私は、近くにあったシャベルを使って石が足に当たるのを防ぎました。シャベルに石が当たるカンカンという音が響き、ガイドは上に向かって「すみません!人がいるんです、石を落とさないで!」と叫んでいました。
10分ほどそこにいましたが、トロッコが来る気配がありません。閉所恐怖症の人なら発狂しているでしょう。ガイドは「来ないね・・・戻りましょうか」と言います。「それがいいね!」と私も応じました。
帰り道に出会った労働者たち。石には銀があると言っていた。
しかし、帰り道がまた大変でした。途中で作業をしている人たちがいたり、トロッコが走って来たりして、何度も粉塵や異臭のするガスを吸い続けながら待たなくてはならないのです。おしゃべりだったオランダ人のおじさんもすっかり黙りこくり、泥水の中で膝を抱えて座り込んでいます。トロッコが通り過ぎた後で、その肩をポンポンと叩いてやると、疲れた笑顔を見せながら頷きました。
ようやく出口の光が見えた時は、救われた思いでした。「鉱山ツアーはそんなに大変ではない」という人がいましたが、本当にこれを大変じゃないと言えるのかと思いました。もちろん、人には体力差があり、穴蔵や閉所が好きな人や、精神的にも強靭な人がいます。ただ、同じ鉱山ツアーでも、英語グループのルートは場所も違うし、時間も短く、それほど大変ではなかったようです。さらに、もし、午後のツアーに参加していたら、作業者が少なく、鉱道内の作業待ちやトロッコの通過待ちも少なくなるわけですから、もっと楽だったのかもしれません。
坑道の外からポトシ市街を望む
いずれにしろ、無事戻れたのですから、いい経験になりました。地下の坑道の厳しさを体験したことで、そこで毎日働く人たちの苦労も少しは感じることができたわけです。生まれた場所が異なるだけで、面白半分に坑道に入るツアー客と、生きるためにそこで働き続けなければならない人達の違いが生じてしまうという現実。それをどう受け止めればいいのか、考えるきっかけにもなりそうです。