闘牛は廃止したほうがいい
2009-05-19
今日、テレビを見ていたら闘牛反対の運動が盛り上がっていることを報じていました。そこで、ネットで調べてみたら、コロンビアで裸で闘牛反対を訴える人たちがいたり、スペインのカタルーニャで闘牛を禁止する運動が盛り上がり18万人もの署名を集めたといった記事がでていました。
私もスペインにいた時、闘牛場で闘牛を見たことがあります。
私は、それまで、闘牛に対してあこがれを持っていて、スペインの重要な文化だと思っていたのです。
また、闘牛というのはマタドールが命がけで牛と闘う勇壮な儀式で、勇気と男らしさを示すものだと信じていました。
ところが、実際に闘牛を見てみると、かなり私のイメージとは異なるものだったのです。

サラマンカの闘牛場の風景
スペインでは夏に各地の闘牛場で闘牛が行われます。有名なマタドール(闘牛士)が各地を巡回して興行するのです。私はサラマンカの闘牛場でその興業を見ました。観客席はほぼ満員で、闘牛人気の高さを感じました。
しかし、実際に闘牛が始まると、少しずつ違和感を感じるようになりました。マタドールと牛の対決というのに、実際は牛を事前に槍で刺して徹底的に痛めつけ、ヘロヘロにしてしまうのです。ひどい時は牛が倒れる寸前まで痛めつけるため、牛はやる気を失ってしまいます。そこで、牛の背中にモリを打ち込んで、痛みを与えることで一時的にやる気を起こさせてマタドールと戦わせるのです。
ある時など、牛を槍で刺しすぎて弱りすぎてしまったため、観客から大ブーイングが起こるしまつです。もう、死ぬ寸前になった牛を無理やり引き回して、マタドールが対決し止めの剣で突き刺すわけです。
それは、人間と牛の対決ではなく、着飾ったブッチャーによる「と殺」です。
そのと殺が何回も繰り返されるのですから、うんざりしてきます。一緒に行った友人たちもげんなりして、早く帰りたいと話し合うほどでした。完全の幻滅です。
確かに、闘牛の牛は野生状態で育てられた非常に強い動物ですから、そのままで人間が対峙すればものすごく危険です。たぶん、大勢の死者が出るでしょう。しかし、その誇り高き牛を半殺しにしてから剣で刺して殺すなど、見ていて耐えられるものではないのです。私は、この時から闘牛反対論者になりました。
その後、サラマンカ郊外の牧場で開かれた、牛の祭りに行きました。ここでは、若い牛を闘牛の牛に見立てて、みんなでマタドールの真似をして遊ぶのです。若い牛でも立派な角があって、すごいスピードで突進してきますから危険なのですが、男たちが勇気を見せて牛と対峙し、跳ね飛ばされたり、踏み潰されたりします。そのたびに歓声と笑い声が起き、泥だらけになった男たちが逃げ惑うのです。
もちろん、牛は殺したりせず、疲れて動きが悪くなると次の牛に交代させます。
この祭りは楽しく、ビールを飲みながら大笑いで観戦しました。
これを見て、残酷な闘牛はもうやめて、みんなが楽しめる牛の祭りを増やした方がいいと思うようになりました。

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