サン・クリストバルの日本人宿の話
2014-01-30
パレンケからバスで山を越え、約5時間でサン・クリストバル・デ・ラス・カサスという長たらしい名前の街に着きました。サンクリの街路。観光地らしく、町並みが綺麗。
日本人旅行者の間ではサンクリと呼ばれている、けっこう有名な観光地です。ここは、先住民文化が色濃く残る地域で、グアテマラと似ています。実際に、昔はグアテマラだったのですが、メキシコが併合してしまったのです。
この街の名前が大きなニュースになったのは、1994年1月に起きたサパティスタの蜂起です。先住民の権利養護とNAFTA(北米自由貿易協定)への反対を主張する武装集団が一時サンクリを占拠。政府軍が到着すると、背後の山中へ撤退し、そこから自分たちの主張をメキシコ国民に対して送り続けたのです。
この反乱に日本でも注目していた人が大勢いました。その一人が、サンクリに日本人宿を開いた笠置さんという人です。
笠置さんは病気で亡くなりましたが、宿はまだやっていると聞き、電話で宿泊予約して出かけました。
出迎えてくれたのは、宿の管理をしているという旅行者のカップルでした。主人がいなくなって、管理が難しいようですが、協力者を見つけて何とか存続しているという感じです。
サンクリの日本人宿「カサ・カサ」。
宿泊費はドミトリーで1泊500円以下ですが、中南米諸国にある日本人宿の中でも汚い方でしょう。昔は日本人宿といえば汚くて当たり前でしたが、最近ではかなり綺麗な宿が多くなっています。その意味では、昔の日本人宿の雰囲気を保っていると言えます。
私が到着した時、宿には十数人の日本人の若者が宿泊しており、とても賑やかでした。驚いたことに、その半数以上は女性だったのです。若者が海外に出なくなったと言われますが、こうした貧乏旅行をする若者がまだ数多くいることに少し嬉しくなりました。
ただ、バスの移動で風邪をひいていた私にとって、サンクリの寒さはこたえました。日中は日差しがあると暖かいのですが、日が陰ると寒くなるし、朝晩はストーブが欲しくなります。私は、居間にある薪ストーブの前でいつも炭の火を起こしていました。
遊歩道は映画のセットのようにも見える。電線がなくスッキリした感じがいい。
サンクリは観光化が進み、綺麗な町並みが作られています。日本と違うのは、電線などの地中化が行われているため、よけいに街が美しく見えることです。本当ならもっとこの街を楽しみたかったのですが、風邪が良くならず、暖かいところに行くことにしました。
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