ローカルバスで、ワシャクトゥン遺跡に行く!

 2015-03-03
 ティカル見学の後は、周辺の遺跡巡りをしたいと思ったのですが、この時期(2月)はオフシーズンで、観光客が非常に少なく、ツアーがほとんどありません。仕方なく、ローカルバスを使って行ける唯一の遺跡であるワシャクトゥンに行くことにしました。

 ワシャクトゥン遺跡はティカルの西23㎞の所にあります。ここには人口1800人というワシャクトゥン村があり、一日1本のバスが運行されています。バス代は片道50~60ケッツアル(700~900円)ですが、午後2時にサンタ・エレーナを出るバスは夕方5時ころに村に着き、翌日の朝6時過ぎにサンタ・エレーナに向け出発するのです。

 つまり、到着した日の翌日に遺跡を見ると朝のバスには乗れませんから、2日間も村に宿泊することになるのです。しかし、とりあえず行ってみるしかありませんから、バスが出るというサンタ・エレーナのバスターミナルに出かけました。

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ローカルのバスやワゴンが出発するサンタ・エレーナのバスターミナル。


 ターミナルのオフィスで60Qのチケットを買うと、痩せたオヤジがやてきて、ターミナルから少し離れた脇道に止めてある中型バスに案内してくれました。何年もの間酷使されてきたオンボロバスはノロノロとティカルに向かって走ります。途中で止まって客を乗せてはまた走るという繰り返し。数日前、同じ道をツアーバスで快適に走ったのとは大違いです。バスは、ティカルに着くと見学用の道路に進んでいき、そのまま遺跡の中の道を走ります。ワシャクトゥンにはティカル遺跡の中を抜けていくわけです。

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バスの中には地元の人しかいない。


 そこからは、未舗装の上、雨で道がぬかるんでいるため、バスはさらにゆっくり走るようになります。ティカルから23㎞の道をたっぷり1時間以上かけ、夕方5時ころになり、ようやくワシャクトゥン村に到着しました。

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大きな広場に面したワシャクトゥン村。


 問題は宿泊です。バスの運転手に聞くと、「この村には2軒しかホテルがない。1軒はここだ」と停留所の前の家を指さします。降りてみると、そこは小さな雑貨屋です。店にいた女性に「ここホテル?」と聞くと、「そうよ。泊まるの?」と、ぶっきらぼうに答えます。まるで、泊まってほしくないような言い方でした。

 もう1軒のホテルのことも考えましたが、こんな僻地の村にまともな宿泊施設などあるはずがないと考え、部屋に案内してもらうことにしました。建物はブロック作りの壁を漆喰で塗装したもので、町と変わりません。ただ、古びたベッド以外何もない、土臭さが充満した整理された倉庫という感じ。中南米の田舎ではよくあるタイプの宿泊施設でした。

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雑貨屋と宿泊施設を兼ねた店。


 女性に「夕食は食べられるの?」と聞くと、「ここは宿泊だけ。食堂は村にあるからそこに行って」と言います。そこで、薄暗くなり始めた村を歩いてみることにしました。村はサッカー場がいくつも入るような大きな広場に面して家がまばらに並んでいます。その広場には馬や豚、鶏、七面鳥などが自由に遊んでいました。

 村の家々の背後には密林が迫っており、どうやらそこに遺跡があるようです。案内図を見ると、村は遺跡のど真ん中に作られている感じで、村を囲むようにして、いくつもの遺跡グループが示されています。私が、遺跡グループのある方向に歩いていくと、男の子の兄弟が近づいて来ました。

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村を通って遺跡に続く道。


 年上の男の子が「僕たちがガイドしてやる」と言います。しかし、もう薄暗くなっています。男の子は、手にした懐中電灯を振って、「これがあるから大丈夫」と言いますが、暗くて写真が撮れなくては行く意味がありません。私は男の子たちに「明日またね」と言って別れました。

 それから、食堂を探しましたが、僻地の自給自足的な村ですから、観光客などがいなければやっているはずもないでしょう。私は牢獄のような部屋に戻り、小さな裸電球の下で、持っていた菓子パンと自分で沸かしたコーヒーを夕食代わりにしました。この村には電気も来ていないのですが、商売をしている家には、一応、発電機が備えられているのです。

 翌朝、朝6時前に遺跡に向けて歩き出しました。「朝早いから、昨日の子どもは起きていないだろう」と思ったのですが、ちゃんと待っていました。5歳と7歳くらいの二人の男の子に先導され、遺跡を巡りましたが、やはり、ちゃんとしたガイドがおらず、遺跡に関する事前の勉強もしていない状況では、何が何だかわからないというのが実態です。

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ワシャクトゥンの全体図


 ワシャクトゥンは先古典期後期(紀元前350年~紀元後250年ころ)に誕生した、古いマヤの都市で、古典期(紀元250年~900年ころ)を通して発展、拡大を続けました。元々、独立した都市だったのですが、隣国ティカルの勢力が拡大したことで、その傘下に入り、衛星都市として存続したようです。

 ティカルのような巨大な神殿都市ではなく、神殿や住居跡などの小規模な建造物群が森の中に点在しています。それも、ほとんど修復されないまま放置されている感じです。一応、建物の復元図を示した看板が建てられているのですが、それを見ても「ほう、なるほどね・・・・」といった感じで、気分は盛り上がりません。

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神殿らしき建物。石碑が転がっているが風化が進んでいる。

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宮殿とされる建物。


 ワシャクトゥンの中心部とされる、グループAとBを見ながら、小一時間、森の中を歩き回りました。いくつかの宮殿が残っているののの、特に印象に残るような建造物や石碑もありません。少し飽きてきたので、男の子たちに、「君たちは大きくなったら何になりたいんだ?」と聞いてみました。すると、年上の子が「僕はティカルでガイドになりたい」と言い、年下の子は「僕はバスの運転手になりたい」と言うのです。「いい夢だ。きっと実現するよ」と私が言うと、二人は嬉しそうな笑顔を見せてくれました。

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石碑と子供たち。


 本当のことを言うと、昨日、二人に会った時には「ガイド料目当てにつきまとわれるのではないか」という危惧を抱いていたのです。しかし、この二人はお金のことなどまったく言い出しません。見学を終わり、村まで戻ってきた私は、二人にわずかですがガイド料を渡しました。すると、二人は嬉しそうに礼を言います。町の悪ズレた子どもなら不満気な顔をしてもおかしくないと思うと、二人の可愛さが心に沁みました。

 7時過ぎに宿に戻ると、「バスはもう出ちゃったよ」と女性に言われました。それは分かっています。「もう1泊するの?」と聞かれ、「ティカルまで行く手段はないの?」と聞き返してみました。すると、「トラックがあるかもしれない」と言います。私は、村とティカルを結ぶ道路で通る車を待つことにしました。そこには、なんと朝から営業している食堂があったのです。

 食堂で朝食を頼むと、豆の煮ものフリホーレスとトウモロコシのトルティーヤにコーヒーという典型的な地元の料理が出てきました。シンプルですが、かなりおいしいです。食堂のおばちゃんに「ティカルに行くトラックはあるの?」と聞いてみ見ましたが、「今の時期はほとんど車は通らないよ」と言うのです。

 私は、仕方なく食堂を出て村に戻る道を歩き始めました。その時、重いエンジン音がして、道路をトラックがやって来たのです。私はトラックに近寄り、声を掛けましたが、荷台に乗った男たちが「ダメだ」と手を振るのです。その後ろにいた乗用車にも手を振りましたが、その運転手は私を無視していました。

 「ダメかあ~」と思った時、先の方でトラックが停まり、行く手を遮られた乗用車も停まったのです。私は、乗用車に駆け寄って、「ティカルまで乗せてくれませんか?」と必死で頼みました。若い運転手は助手席に座った女性を気にするように見てから、渋々という感じで、うなづきました。

 この悪路を乗用車で走ると、轍にはまって車の底に石や地面が激しくぶつかる音が響くし、泥のぬかるみに入ると車が動かなくなりそうです。運転手はハンドルを取られまいと、必死に運転しているため、車内には沈黙が続きました。しかし、気まずいままでは申し訳ないので「この道では四輪駆動車が必要ですね」と言ってみました。そこから、ようやく会話が始まり、車内の空気が和みました。

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ワシャクトゥンの七面鳥。


 こうして、何とか無事に終わったワシャクトゥンへの旅でしたが、遺跡より、途中で出会った人たちの方が強く印象に残る結果になりました。

 

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タグ : ワシャクトゥン
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