世界遺産 キリグア遺跡に行く!
2015-03-22
キリグア遺跡はキリグアの宿からはトゥク・トゥクという三輪車のタクシーで15分くらいの所にあります。遺跡の規模はあまり大きくないので、1時間もあれば十分見学できます。キリグア遺跡の大きな特徴は、大小さまざまな石碑や石彫が残されているところです。一般的なマヤの石碑は高さ2~3m程度ですが、ここの石碑は最も大きいもので11m近く(土に埋もれた部分も含む)あるそうです。石碑に施された王の肖像なども、他の遺跡では浅浮彫(ローレリーフ)なのですが、キリグアの場合は高浮彫(ハイレリーフ)になっていて、かなり立体的で美しい造形です。

マヤで最大と言われるキリグアの石碑に刻まれた王の姿。
これだけの大きさと質の高い彫刻群が残っている遺跡は、他にはあまりありません。また、以前、「2012年に世界が終わる」というマヤの予言が世間を騒がせましたが、この元になった碑文もここにあります。ですから、多少マイナー感はありますが、訪ねる価値は高いと思います。
キリグア遺跡は、米国のフルーツ会社が経営しているという巨大なバナナ畑に囲まれています。遺跡の横がバナナ農園のゲートになっていて、ここで働く人々が頻繁に出入りしています。一方、遺跡の見学者はほとんどおらず、ひっそりとしています。入場券を買って中に入ると、よく整備された公園のように美しい緑にあふれています。これは20年前に来た時と同じです。

キリグア遺跡の入り口
遺跡エリアに入ると、緑の芝生に覆われた広い広場、「グラン・プラサ」があります。そこに数本ずつ固まった石碑がところどころに立っているのです。前述のように、高浮彫の王の像は迫力があります。石碑の側面に彫られたマヤ文字もハッキリ残っていて象形文字の面白さが伝わってきます。

石碑が立つグラン・プラサは幅150m、長さ300mある。

ステラCの横に彫られたマヤの予言の元になった碑文。
キリグアの歴史を紐解くと、王朝が樹立されたのは西暦400年代のことになります。マヤ文化圏の南東端にあたるこの地域は、現在のホンジュラスにあるコパンという大都市が支配していました。最初のキリグア王は、このコパン王の庇護のもとに新たな都市を築き始めたのです。
キリグアの運命が大きく変わったのは、700年代のことです。724年にキリグアではカック・ティリウという新たな王が誕生します。この王も、コパン王の庇護のもとにあったのですが、738年にコパン王を殺してしまったのです。小国の王が強大な力を持ったコパンの王をどのようにして捕らえ、殺したかはわかりません。一説では、神聖な儀式である球戯でキリグアチームがコパンチームに勝利したことがきっかけとされています。コパン王がこれを悪い予兆と考え、意気消沈したところを、普段から反乱の機会をうかがっていたキリグアに襲われたというわけです。

ステラCに彫られたカック・ティリウ王の像。
実際にどうだったかは分かりませんが、この事件により、キリグアは勢力を拡大し、コパンは凋落していきます。キリグアのカック・ティリウ王は、アクロポリスを建設するなど都市を拡大・整備するとともに、自らの像を刻んだ石碑を次々に作らせます。マヤ最大の石碑、ステラEもふくめ、現在、広場に残る石碑の多くは、このカック・ティリウ王が作らせたものです。

マヤ最大の石碑、ステラE。
石彫に関して興味深いのは、ここには獣形神(Zoomorph)と呼ばれる、奇妙な巨石があることです。石の表面には、神の姿やマヤ文字が隙間がないほどびっしりと彫刻されており、その異次元的なイメージには驚かされます。

最も保存状態がいい獣形神Pの前部。神と動物が合体したような不思議なイメージだ。

獣形神Pの後部。神の顔が見える。

静かな雰囲気のアクロポリス。
建造物があまりないため古代都市の遺跡としては物足りない感じですが、石碑や獣形神のイメージは素晴らしく、芸術やデザインに興味がある人にはお薦めの遺跡です。
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