アティトラン湖周辺、マヤの村巡り
2015-03-29
朝8時にアティトラン湖畔の桟橋に行くと、20人ほどの客が乗れる小型ボートが停まっていました。先客が5人ほどいましたが、ボートはほぼ満員にならないと出港しません。20分ほどして、定員を超えるほど人が集まったところで、ようやく出発。天気は曇り、気温は20度近くあると思いますが、風が冷たいです。快調に走るボートは湖を横切り、サン・ペドロ火山とトリマン火山の間に進んでいきます。最初の訪問地、サンティアゴはトリマン火山の麓にあります。ここは村というよりグアテマラでは中規模の町くらいの大きさがあります。
サンティアゴに停泊する連絡ボート。後ろはサンペドロ火山。

サンティアゴの桟橋。後方の斜面に町がある。
ボートから降りると、土産物屋が並ぶ緩やかな坂道を町の中心部に向かって登ります。20年前と比べ、ずいぶん立派な店が多くなり、観光地として発展していることがうかがえます。多くの店にはカラフルな織物を中心に様々な土産物が売られています。以前は、この町のオリジナルデザインの格子模様の織物が多かったのですが、今では様々なデザインの織物があって、独自性が薄れています。織物の質も良くないのが多いようです。

サンティアゴの桟橋から続く坂道。土産物屋が多い。
10分ほど坂を上ると小さな広場があり、周辺の道路に物売りが店を広げています。観光客はあまりいませんが、野菜や果物などを買い求める地元の人達で賑わっています。こういう場所はマヤの人々の日常生活が見られて面白いです。その裏側に、この町の中心になる広場と信仰の中心であるサンティアゴ・アポストル教会があります。

地元の人達で賑わう広場周辺。

街の中心にあるサンティアゴ・アポストル教会。
教会前広場の横に、一人の老婆が座っており、見ると、サンティアゴ独特の帽子のようなものを被っています。実は、これは長い帯を巻き付けて帽子の庇のようにしたものです。今ではあまり見れなくなった姿に、近づいて「写真を撮らしてほしい」と頼みました。すると、隣にいた娘らしい女性が「1ドルだよ」と言います。私が「5Q(75円くらい)にして」と言うと、笑顔でうなづきます。写真を撮り終わると、娘が「あんた、マシモン見たくない?」と聞きます。

長い帯を巻き付けて帽子の庇のようにしている。民族衣装のブラウスもこの町の独自デザイン。
マシモンというのは土着の神様で、マヤの人々は今でも信仰しているのです。私が「写真は撮れる?」と聞くと、「10Qで撮れるよ。それと案内料が10Q」と言います。承諾した私は、娘に案内されて住宅地に入っていきました。そこはブロック造りの納屋のような家でした。広い土間の中心にカラフルな布きれを身にまとったマシモン神が置かれ、呪術師と世話役の男たちが脇に座っています。その向かいの椅子には、神様に願い事をしに来た家族が座って呪術師たちとなにやら話をしていました。こちらの人は、日常的にマヤ語を使い、その言葉も部族ごとに異なるのです。

マシモンと右隣が呪術師。その両側が世話役。
私が横で見ていると、建物の窓から娘が顔を出し、「写真を撮るなら10Qあげるんだよ」と言います。私が呪術師に10Q差し出すと、世話役の男が「神様に供えるんだ」と促します。私はマシモンの前にある供え物の台にお金を乗せました。すると、世話役が「どうぞ、写真を撮って。他の神様たちも自由に撮っていいよ」といいます。
真黒な顔をしたマシモンはどう見ても異形の神ですが、部屋の奥にはガラスの棺桶に寝たイエスキリストの像がありますし、キリスト教の聖人たちらしき人形もあります。キリスト教とマヤの神の混淆は少し気味悪いですが、実に面白いです。

キリスト教の聖人らしき人形が固まっている。
桟橋に戻り、次の村サンペドロ・ラ・ラグーナ(以下サンペドロ)行きのボートに乗りましたが、客が少なく、なかなか人が集まりません。「これは時間がかかりそうだ」と思いましたが、このルートは客が少なくても仕方ないのでしょう、15分ほどで出港となりました。
サンペドロはサンティアゴの向かいにあるサンペドロ火山の麓にあります。20分ほどで、人気の無い、ド田舎感溢れる桟橋に到着しました。サンティアゴと比べて随分静かな所だと思いましたが、ここには、行先別に静かなサンチャゴ桟橋と賑やかなパナハッチェル桟橋があったのです。

サンペドロのサンティアゴ桟橋付近。
サンペドロは山の斜面に作られた小さな町で、これといって特徴がありません。ただ、豊かな自然と静かな雰囲気がいいのか欧米人がたくさん住んでおり、パナハッチェル桟橋の周辺はグリンゴテナンゴと化しています(この言葉は米国人を指すグリンゴと、グアテマラの町名の語尾によくつくテナンゴを結びつけたもので、「欧米人が多い場所」という意味で使われる)。

サンペドロのパナハッチェル桟橋付近は観光客が多く賑やかだ。
パナハッチェル桟橋から続く通りには欧米風のカフェや土産物屋が並んでおり、その雰囲気はミニ・パナハッチェル。歩いているのも欧米人の観光客ばかりです。道路脇に日本のラーメン屋台のようなものがあり、すしを売っていました。のぞいてみると、日本人らしき女性がいて「もう、すしはないよ!」とスペイン語で怒鳴られました。
食事は済ませたので、飲み物を求めて歩いていると、野菜とフルーツをミックスした生ジュースを売っているスタンド形式の店がありました。オレンジとニンジンのミックスを頼みましたが、美味しくて気にいりました。旅行していると野菜をあまり食べませんので、こういう店があるといいのですが、他では見たことがありません。

生ジュースがおいしかった。
マヤの村巡りは、その土地独自の文化や衣装を見るのが楽しいのですから、サンペドロはハズレです。桟橋から、次の村に行こうと思いましたが、時間的にも厳しくなりました。そこで、最後にもう一カ所、典型的な村に行きたいと思い、サンタクルス・ラ・ラグーナ(以下サンタクルス)を選びました。ここの女性が着る衣装には、独自のデザインが用いられているそうです。
サンペドロを出たボートは、途中、3カ所ほどの村に寄りながら、約1時間かけてようやくサンタクルスに到着しました。ここはサンペドロのサンティアゴ桟橋よりも寂れた感じです。ボートから降りたのも、私以外では地元の2人だけでした。桟橋から、細い道路が遥か上の山の斜面に作られた村まで続いており、急坂を歩いてゆっくり上っていきます。三輪タクシーのトゥクトゥクもあるのですが、この時は運転手がいませんでした。

サンタクルスの桟橋。寂しい所だ。

サンタクルスの村は丘の上の方にある。
20分くらいで村に到着しました。そこは、ひっそりした普通の村で、時々、村人とすれ違うと、自分のよそ者感が強すぎて心細くなります。村の細い道をさらに上に向かって登ると、子供たちが遊んでいる、教会前の広場に出ました。どこにでもあるような特徴も面白味もない所です。「せっかくここまで上って来たのに、どうする・・・」と思いました。

教会前の広場。
そこで、せめて、この村の衣装を見ようと考えました。さらに村の奥に歩いて行くと、ちょうど道沿いの家の庭で家事をしている初老の女性がいたので、声を掛けて見ました。しかし、その女性は困った顔で私を見るだけです。「警戒しているのかな」と思った時、一人の男性がやって来て、「ここにはスペイン語を話せない人が多いんだ」と言いながら、彼女にマヤ語で説明をしてくれました。

村の坂道を上る。
「それで、あんたはここで何をしているんだ?」と聞かれ、私は「この村の民族衣装を見たい」とお願いしてみました。以前は、各村に独自の民族衣装を着た女性たちが大勢いたものですが、今では民族衣装を着る人が少ないし、着ていても独自のデザインではない衣装が多くなっているのです。男性がそれを女性に話すと、彼女は「民族衣装を持っているが、それを着て写真を撮られるなら、それなりにお金が欲しい」と言うのです。
ちょっと驚きました。こういう田舎の年配の女性でもお金を要求するとは。もちろん、相応のお礼はするつもりでしたが、そう言われると、気持ちが萎えます。どうしようか考えていた時、ちょうど民族衣装を着た別の女性が歩いてきたのです。私は、すぐ、その女性に「写真を撮らせて」と声を掛けました。「10Q出す」と言うと、女性はすぐにOKしました。

サンタクルスのオリジナルデザインの衣装を着た女性。
帰り道、こんどは小さな女の子たちに「写真を撮って」とせがまれました。もちろん、目的はお金です。そのうちの一人がオリジナルの民族衣装を着ていたので、三人に一人1Qずつあげて写真を撮りました。この村にも観光客がやってきて写真を撮るので、こういう習慣が身に着いたのでしょう。仕方ないことだとは言え、ちょっと後味が悪い結果になってしまいました。
ただ、今日回った三カ所では、最後のサンタクルスがやはり一番良かったと思います。素朴な生活が見られる村のほうが、グリンゴテナンゴよりはるかにましです。

女の子たちが可愛い。右の子がオリジナルデザインの衣装を着ている。
結局は、観光化がもたらす変化の大きさに驚かされた村巡りになったと言えます。
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