ポトシで地獄の鉱山ツアーに行く!

 2017-04-28


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 銀で栄えた植民都市ポトシ

 

  ウユニを後にして、ポトシに向かいます。

 ポトシは1545年に巨大銀山が発見されて以来、銀山から生み出される莫大な富による都市化がすすめられ、一時は人口20万に達する中南米一の大都市となったのです。しかし、19世紀になると銀の産出量が減少したことで多くの人がこの地を去り、20世紀後半にはすっかり忘れられた街となっていました。しかし、銀山からはいまだに少量の銀やスズなどの鉱物が産出されるため、そこで働く人たちがいるのです。

 ボリビア、あるいは南米の歴史を知ると、ポトシがいかに重要な場所であったか分かります。また、先住民を強制的に鉱山労働者として使役したことで、一説では800万人もの人たちが犠牲になったという悲惨な歴史があり、抑圧されたラテンアメリカの象徴とも言える場所なのです。

 

 ウユニからポトシへはバスで3時間半から4時間で行けます。

 朝8時半ころ、バス会社が集まっている地区に行くと、「ポトシ!9時発だよ」という呼び込みが聞こえました。複数のバス会社が時間をずらしてバスを出発させているので、ほぼ好きな時にバスに乗ることができます。料金は30ボリビアーノ(500円くらい)と安いです。

 バスは順調に走り12時半ころ旧バスターミナルに到着。ポトシには新旧二つのターミナルがあり、行き来する街によってターミナルが異なります。旧ターミナルは街の中心から比較的近いのですが、歩くには辛い距離です。前の道路を通るバスの運転手に「セントロ(中心地区)に行く?」と確認して乗りました。料金は1.5ボリビアーノ(20円くらい)で、ラパスと同じです。

 ただ、どこが中心地区か分かりません。しかも学校が終わる時間なのでしょう、車内はメチャ混みで、外もろくに見えないのです。近くの若者に「セントロは近い?」と聞くと、「僕も降りるから教えてやる」と言います。助かりました。

 地球の歩き方に出ていたオスタル(安ホテル)が中央広場から5分ほどの場所にあり、落ち着いたいい感じの建物だったので、そこに決めました。

 そこの経営者らしき中年の女性に「鉱山ツアーに行きたい」と言うと、「ツアーは2時からだからまだ間に合うけど、できれば明日の午前中の方がいい」と答えます。その理由は「午後は鉱道内に作業者があまりいないけど、午前中は仕事をしている人が多いから面白い」ということでした。実は、これが間違いの元だったのです。


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ポトシの中心街

 

 その日の午後は、ポトシ市内を見て歩きました。この町には35年前にも来たことがありますが、かなり変わりました。昔は、時代から取り残された古臭い町という感じで、長い時が多くの建物を押し潰そうとしているような、うらぶれた雰囲気が漂っていたものです。

 今は人口がかなり増えたのでしょう、町全体が大きくなり、主要な建物は綺麗に整備され、人々が行き来する街路も活気に満ちています。それでいて、古い建物が並ぶ歴史地区には時代を重ねた味わいが残っており、散歩していても楽しいです。ただ、都市の中では世界で最も高い標高4000mに位置するため、すぐに息が上がって、疲れるという問題はあります。

 町外れにあるセロ・リコ(富める丘)と呼ばれる巨大銀山は、中心地区からも見ることができます。草木も生えぬ茶色の山を見ながら、「明日は、その中に入って行くのだ」と思うと、怖いような気もしました。


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植民地時代に銀の鋳造を行っていた造幣局

 

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ポトシの繁華街は人がいっぱいだ!


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街外れに聳える鉱山の山セロ・リコ


 鉱山ツアーに出発!


 翌朝、オスタルで朝食を食べていると、オランダ人の陽気な自転車乗りおじさんが声をかけてきました。彼も「鉱山ツアーに参加する」と言います。そこで一緒にツアー会社に行き、ガイドに連れられて迎えのマイクロバスに乗りました。

 ツアーは全員で15人ほどいましたが、英語グループとスペイン語グループに分けると言うので、私と自転車おじさんはスペイン語グループを選択しました。

 出発前に、まずは着替えです。鉱山労働者と同じつなぎの作業着を着て、長靴をはき、頭にはライトがついたヘルメットをかぶります。次に、鉱山の麓の売店で、鉱道内で働く鉱夫たちへの土産として、清涼飲料とコカの葉のセット袋を一人1袋購入。それから、またマイクロバスに乗り、いよいよ鉱山に出発です。


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労働者に差し入するコカの葉と煙草を示すガイド。


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こんな格好で坑道に入る。


 セロ・リコに上る道をバスが走ると、間もなく「英語グループはここで降りて」とガイドが言います。スペイン語グループはそのままバスに乗って丘を上がっていきます。バスはかなり上まで走り続け、「下のグループとはこんなに坑道の場所が違うのか?」と思っていると、ガイドが「バスから降りろ」と言います。

 このガイドは女性なのですが、鉱山の中では女性は働くことができないそうです。ガイドとして働くのは問題ないのでしょうが、一抹の不安を感じました。

 歩いて坑道の入り口に行くと、鉱石を運ぶトロッコを押す数人の鉱夫たちがトンネルに入ろうとしています。彼らに続いて、ガイドを先頭に、水がたまり泥だらけの道が続く狭い穴に入って行きました。


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坑道の入り口でトロッコを押す労働者たち。


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いよいよ坑道に入って行く。


 鉱夫たちの守り神ティオに参拝


 天井が低いため、腰をかがめて歩くのですが、上から岩や支柱の木材がやたら飛び出しているために、時々、ヘルメットに勢いよくぶつかります。何度もぶつかると、首にまで衝撃が来て、くらくらします。慣れると、ぶつかる頻度が減りますが、油断していると横木がもろにヘルメットに衝突。その強い衝撃を頭全体に受け、歯を食いしばって唸りました。

 狭くて暗い坑道内を15分ほど歩くと、横穴があり、その奥に赤鬼のような像が鎮座しています。「ティオ」と呼ばれる鉱夫たちの守り神です。鉱夫たちは、作業前にティオにタバコや酒、コカの葉を捧げ、作業の安全を祈願するのです。

 私たちはティオの前に並んで座り、ガイドから説明を受けました。鉱道内には埃が充満し、温度も湿度も高いのです。最初は話を興味深く聞いていたのですが、マスクをしていたため次第に息苦しくなりました。そこでマスクを外してみると、粉塵と異様な臭いが鼻を突き、ますます苦しくなったのです。ガイドは「火薬が燃えた匂いだ」と言います。鉱夫たちは自分で購入したダイナマイトを坑道の奥で爆発させて鉱石を粉砕しているのです。





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ティオの前で長い説明を受ける


 ちなみに、鉱夫が作業している所にこのようなツアーが入って行けるのは、鉱山会社が管理しているのではなく、働きたければ鉱山労働者の組合に加入するだけでOKという場所だからなのです。鉱夫は働いて得た鉱物によって収入が決まる自営業者で、何があっても自己責任。健康保険も事故の補償もありません。ツアーで坑道に入る者も基本的に同じです。

 ガイドの説明は長く、息苦しさと暑さで、次第に集中力が失われ、苛立って来ました。ようやく説明が終わった時、参加者の一人が簡単な質問をしました。すると、ガイドは鉱山の歴史をインカ時代から説明し始めたのです。

 「かんべんしてくれ」と思いました。ティオの前にいた時間はやたら長く感じましたが、たぶん20分くらいだったと思います。

 この時点で「もう、鉱道内を這いまわるのは十分」という感じでしたが、ツアーはここからが本番だったのです。

 狭い洞窟内を、腰を曲げたままで歩き続けるのは辛いです。しかも、時々、穴が小さくなって這いずるようにして進まなくてはならない場所もあります。息苦しさと蒸し暑さに疲労感が加わり、冷や汗が止まらなくなりました。


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怖ろしく狭い場所も潜り抜ける。


 ようやく少し広い坑道に出ると、トロッコが走って来る音が聞こえます。ガイドが「危ないからよけて!」と叫びます。よけてと言われても、狭い穴ですから場所がありません。仕方なく、岩壁にピッタリと貼りついていると、すぐ脇を二人の男に押されたトロッコが猛スピードで走り抜けました。そのトロッコが左右に揺れながら走っているため、私の足からギリギリの所をかすめたのです。ぶつかれば確実に大怪我です。思わず、安どのため息をつきました。

 さらに坑道を奥に進むと、途中で作業をしている人たちに出会いました。坑道の横で穴を掘っているのですが、すごい埃が充満しています。作業者はガスマスクの重装備ですが、この環境なら当然です。一方、ツアー参加者はネッカチーフや普通のマスクで口を覆っただけですからたまりません。作業者に持参したお土産を渡すと、さらに奥へと進んでいきました。

 

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鉱道内をどこまでも進む。


 

どこまで行くんだ!

 

 鉱道内は大きな蟻の巣のようです。人が押すトロッコが走れるだけの丸い穴が迷路のように掘られていて、あちこちで別の穴と交差しています。ヘルメットのライトだけを頼りに真っ暗な場所を進むのですから、今自分たちがどの辺にいるのか、出口に向かっているのか、奥に進んでいるのかも分かりません。1時間以上経過し、いい加減「俺はもう帰る!」と言いたいところですが、一人ではぜったいに出口に辿り着かないでしょう。

 しかし、歩いていればまだいいのです。狭い場所でトロッコに鉱石を積み込む作業をやっている人がいると、その作業が終わるまで待たなくてはならないのです。舞い上がる粉塵の中で、息苦しさに耐えながらしゃがみ込んでジッと待っていると、次第に苛立ちが抑えられなくなります。なぜなら、作業がいつ終わるのかわからないし、終わったらさらに穴の奥に進むのですから、戻る時にまた作業が終わるのを待つ可能性が高いわけです。そんなことをしていたら、2時間でも3時間でもこの穴蔵に閉じ込められることになりかねません。

 考えすぎて、プチパニックになりかけた時、作業が終わり、トロッコが走り出しました。「もう帰ろうよ」と言いたかったのですが、黙々とガイドの後に従って歩いている参加者たち(男女6人)を見ると、もう少し我慢してみようという気になりました。


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時々トロッコに鉱石を積み込む作業をしている。


 ガイドはさらに穴の奥に入って行きます。私は、「ひょっとしたら、この先に出口があるのではないか?」という思いになりました。いくらなんでも、これ以上辛い経験をさせるツアーをするはずがないと考えたからです。しかし、それは甘い考えでした。

 先に進むほど穴は狭くなり、腰を曲げて歩くのも限界と思い始めたころ、突当りに辿り着いたのです。そこには落盤防止の木枠が組んであり、斜め上の方に掘り進んでいる作業者がいるようでした。トロッコが入れるようにレールもあります。

 ガイドは「ここでしばらく待ちます」と言うのです。「どうして?」と聞くと、「間もなくトロッコがやって来て、鉱石を積み込みます。ここは狭くて体を避ける場所がないので、その作業が終わって、トロッコが出てから戻ります」と言うのです。


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掘った場所を見るといろいろな鉱物が含まれているのが見える。



 上から石が落ちて来る! 


 いったいどのくらい待たなければならないのかガイドもわからないのですから、私はあきれました。ガイドなら、そんなことは、ここに来るまでに分かっていたはずですから、無理にここまで入ってこなくても、途中でいくらでも戻れたはずです。「ガイドは鉱山労働の厳しさや苦しさを、のんきなツアー参加者にたっぷり味合わせてやろうと思っているな」と私は思いました。

 しかし、私たちにはどうしようもありません。仕方なく、そこにしゃがみ込んでいると、上の方から石がゴロゴロと転がり落ちてきたのです。上の作業者がトロッコに積み込む鉱石を落としているようです。危ないと思った私は、近くにあったシャベルを使って石が足に当たるのを防ぎました。シャベルに石が当たるカンカンという音が響き、ガイドは上に向かって「すみません!人がいるんです、石を落とさないで!」と叫んでいました。

 10分ほどそこにいましたが、トロッコが来る気配がありません。閉所恐怖症の人なら発狂しているでしょう。ガイドは「来ないね・・・戻りましょうか」と言います。「それがいいね!」と私も応じました。



帰り道に出会った労働者たち。石には銀があると言っていた。


 しかし、帰り道がまた大変でした。途中で作業をしている人たちがいたり、トロッコが走って来たりして、何度も粉塵や異臭のするガスを吸い続けながら待たなくてはならないのです。おしゃべりだったオランダ人のおじさんもすっかり黙りこくり、泥水の中で膝を抱えて座り込んでいます。トロッコが通り過ぎた後で、その肩をポンポンと叩いてやると、疲れた笑顔を見せながら頷きました。

 ようやく出口の光が見えた時は、救われた思いでした。「鉱山ツアーはそんなに大変ではない」という人がいましたが、本当にこれを大変じゃないと言えるのかと思いました。もちろん、人には体力差があり、穴蔵や閉所が好きな人や、精神的にも強靭な人がいます。ただ、同じ鉱山ツアーでも、英語グループのルートは場所も違うし、時間も短く、それほど大変ではなかったようです。さらに、もし、午後のツアーに参加していたら、作業者が少なく、鉱道内の作業待ちやトロッコの通過待ちも少なくなるわけですから、もっと楽だったのかもしれません。


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坑道の外からポトシ市街を望む


 いずれにしろ、無事戻れたのですから、いい経験になりました。地下の坑道の厳しさを体験したことで、そこで毎日働く人たちの苦労も少しは感じることができたわけです。生まれた場所が異なるだけで、面白半分に坑道に入るツアー客と、生きるためにそこで働き続けなければならない人達の違いが生じてしまうという現実。それをどう受け止めればいいのか、考えるきっかけにもなりそうです。


 

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ボリビア高地の旅へ

 2017-04-26

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標高4000mの高地を走る 


ウユニ塩湖を見た後、私たちのランクルは南西に向けて走り続けました。

 標高4000m弱の大平原の中を未舗装の一本道が延々と続き、時々、野生のビクーニャの群れが草を食んでいるのを見ることができます。

 ビクーニャの毛は非常に細く柔らかいため、これを使った織物などはアルパカ以上に高級とされているのです。ただ、リャマやアルパカなどと異なり人に慣れないため、飼育は困難だそうです。以前は、毛や肉を取るために乱獲されて数が激減したのですが、保護政策が功を奏して、今ではかなり増えています。


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途中で見たビクーニャの群れ

 

 やがて、大平原の中にあるチュピカという小さな村に到着。この村はずれに塩でできた山小屋のようなホテルがあり、ここが1日目の宿泊施設になっています。外観は、塩でできていると思えないのですが、中に入ると確かに壁などが塩でできていて、歩くと床の塩がジャリジャリと音を立てます。 

 各部屋にはシングルベッドが二つ並んでおり、電気も水道もあるので居心地はそれほど悪くありません。ただ、シャワーは水しか出ないようです。温水がなければ、寒くてとてもシャワーを浴びる気になれません。また、スマホやカメラの充電も食堂のコンセントで可能です。みんなが充電するため、たくさんの機器がたこ足状態になっていて、場所がないという問題はありますが・・・。

  食堂では車両ごとにテーブルが決められています。夕食時にはボリビア産の赤ワインが1本出てきました。「ボリビアのワインもおいしいんだよ」とガイドが言いますが、まあ、そこそこの味。夕食はチキンフライとポテトフライ、サラダ。食べやすく、ワインにも合う食事でした。

 

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1日目の宿泊施設、「なんちゃって塩のホテル」


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宿泊施設の部屋


絶景のエドアルド・アバロア自然保護区


 2日目、朝5時ころ出発した車両があり騒音で目が覚めました。ツアーによってルートが違うのでしょう、私たちの車両は出発時にもたつき、8時過ぎになって出発となりました。

  途中、チナグア塩湖を通り、南のエドアルド・アバロア自然保護区を目指します。この辺りは標高5868mのオヤグエ火山などがあり、車窓から素晴らしい景色が楽しめます。途中にはいくつかの湖があり、水の中にいるフラミンゴの群れを見ることもできます。ただ、時期によっては多くのフラミンゴを間近で見ることができるようなのですが、私たちは結構遠い位置で十数羽しか見られなかったのが残念でした。


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こんな風景が続く


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湖も綺麗だ。

 

 その後、アルボル・デ・ピエドラ(石の木)に到着。風化や浸食によってできた奇岩が集まっている場所です。特に有名なのが、細い幹から葉が茂った木のような形になっている石です。

  夕方になって、この日のハイライトであるラグーナ・コロラダに到着です。赤い湖という意味の名前の通り、赤く染まった不思議な湖面が目の前に広がっています。これは湖に赤い藻が繁殖しているためだそうです。また、湖面にはピンクのフラミンゴの群れがいて、荒涼とした景色に花を添えています。

 ガイドが「この湖の色は時間帯によって変化するんだ。こんなに美しい場所は他にない」と言います。同じ赤でも太陽の光の具合によって、深紅から淡いピンクまで変わっていくようです。

 昔、テレビでこの湖をチリ側から目指した番組を放送していました。何日もかけて大変な悪路を4WDで乗り越え、なんとかここに辿り着いた人達を見て、「大変だけど、ここに行ってみたい」と思ったものです。それを思い出しながら、目の前に広がる絶景を眺めていると「ここに来れてよかった」と感じました。


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赤い湖ラグナ・コロラダ。白い点はフラミンゴ、場所によってはもっとたくさんいる。

 

 2日目の宿泊はエドアルド・アバロア自然保護区の中にあるロッジです。ドイツ人夫婦が追加料金で二人部屋に入ったそうで、私と日本人の若者は夫婦の二人の娘と4人部屋に入りました。

 電気は夕方7時から9時ころまでしか使えません。7時になるとすぐ、ロッジの管理人にカメラの充電をお願いしました。夕食はスパゲッティ。食べたらすぐ寝る。シャワーは水ですから、また浴びられませんでした。困ったのはトイレです。夜は電気がつかず真っ暗ですから懐中電灯が必要なのですが、忘れてしまったのです。悲惨!!


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山小屋の食事風景


世界一高所にある温泉


 翌朝は5時出発です。標高4300mの朝は寒いです。車のフロントウインドウが凍り付いていて、運転手はワイパーを動かしても氷がうまく溶けないため、前が見えない状態でしばらく運転していました。「事前に氷を溶かしておけよ」と言いたくなりました。

 暗闇の中を走ると、白い煙がもうもうと立ち上っている所に出ました。先行車両が何台も止まっていて、大勢の人が煙の周辺を歩いています。車から降りると、硫黄の臭いがして、蒸気が噴き出すシューという音がしています。間欠泉です。しばらくすると、噴出音が急に大きくなり、地面から勢いよく蒸気が噴き出し始めました。気温は氷点下なのですが、蒸気は温かくて気持ちよく、そこから動きたくなくなりました。


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間欠泉が噴き出している場所。


 そこから少し先には温泉があります。湖の岸辺から温泉が湧いていて、プールのような露天風呂が作られているのです。脇にある小屋で水着に着替えた人たちが大勢温泉につかっています。たぶん、世界で最も高い場所にある露天風呂でしょう。

 ちょうど太陽が山から顔を出して上り始め、みんな温泉で暖まりながら美しい日の出の風色を楽しんでいました。私は、水着がないので入れませんでした。


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温泉につかる人々。

 

 この日はエドアルド・アバロア自然保護区を南下してチリとの国境まで行きます。標高4300mから5000m近い高地の移動です。 

 途中には、サルバドール・ダリの砂漠と呼ばれる場所があります。尖った茶色の山々に囲まれた高地には植物が育たず荒涼とした光景が広がります。それが、ダリが描いたシュールな光景に似ているためこの名がついたのです。


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 ダリの砂漠


富士山のようなリカンカブール山に登る?


 やがて、行く手にチリとの国境に位置するリカンカブール山が見えてきます。標高5916mの富士山に似た円錐形の山です。同行の日本人の若者はこの山に登るために来たそうです。彼曰く、ベースとなる場所が4500mほどあるため、5900mもある山にしては登りやすく、登山する者が多いそうです。

 国境の山小屋に車が到着し、ガイドと彼が登山の交渉に行きました。ところが、なかなか戻って来ません。私が山小屋のフロントに行くと、若者が事前に聞いていた登山ガイドがおらず、困っていました。登山するにはガイドが一緒に行く必要があるのです。

 私も交え、小屋の人といろいろと話しましたが、ガイドや車両の用意ができるのかハッキリしません。その人は「誰か別の登山者がいれば、ガイドと車両をシェアして行けるけど・・・」と言います。若者は「いなければ一人で全額支払う」と言うのに、曖昧な返事しか返って来ません。

 「仕方ないので、ここで別の登山者が来るのを待つ」と彼は言います。南米では、事前の約束と違うことはよくあります。悔しい思いは理解できますが、どうにもなりません。 

 若者を小屋に残して、私たちは来た道を戻ります。途中、奇岩が並ぶ場所を見たりしましたが、ランクルは荒野の道を北に向かってひた走ります。やがて、山間の小さな村に到着。ここにはホスタル(小さなホテル)があり、長距離走行の疲れを癒すとともに、昼食を取りました。

 その後は、ひたすら走り続けました。3時ころにサン・クリストバルという町で休憩。そこから1時間半ほどたった4時半にウユニに帰って来ました。


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2泊3日ツアーのルート図


 2泊3日のツアーは車に乗り疲れました。しかし、他では見ることができない素晴らしい景色を堪能できましたし、3日間、病気や車両の故障・事故など、何のトラブルもなくツアーを終えられたのはラッキーだったと思います。



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ウユニ塩湖に行く!

 2017-04-20

 

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 ラパスからウユニへの移動は飛行機で決まり!

  ラパスからウユニに行くには、主にバスと列車の乗り継ぎ、長距離バス、飛行機の3通りの方法があります。

 列車でウユニに行く方法は景色が楽しめる面白いと思いますが、時間がかかる上に乗り換えなど面倒です。ラパスからウユニ行きの夜行バスも値段が高いクラスを選べばそれなりに快適ですが、途中の道が悪いため振動でかなり疲れると聞きました。

 飛行機は45分でウユニに行けますが値段が高いのがネックでした。試しに、エクスペディアで航空券を検索したところ2万円以上となっています。あきらめかけましたが、念のためアマゾナス航空のサイトで航空券の価格を調べてみました。すると、時間帯別のプロモーション価格で夜の便なら60ドルちょっととなっています。しかも、ホームページからクレジットカードで購入が可能です。

 

 「この価格なら」と飛行機に決めました。アマゾナス航空のサイトでは簡単に手続きができ「本当にこれで飛行機に乗れるのか?」と少し不安を感じたのですが、空港では何の問題もなくチェックインできました。

 飛行機の乗客が半分以上、中国人客だったのには驚きました。都会にショッピングに行くような派手な服装の女性も多く、かつては“地の果て”とされていたウユニ行きの飛行機とは思えません。時代は変わりました。


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ウユニ空港に到着

 

 夜8時にウユニの空港に到着。すぐ、翌日出発のツアーを確認することにしました。

 聞いたところでは、ウユニには5060社ものツアー会社があるそうです。特に鉄道駅の前の通りに多くのツアー会社が軒を連ねています。その中に「穂高ツアー(Hodaka Mountain Expedition)」という日本の名前を付けた会社があり、多くの日本人の旅行者が利用していると聞きました。そこで、穂高と事前にメールでやり取りし、翌日発のボリビア高地23日のツアーを申し込んでおいたのです。ちなみに、会社の名前は穂高でも経営者は現地の人ですから、日本語は通じません。

  事務所に行くと、中年の女性がいて、翌日のツアーの説明をしてくれました。夜の8時半過ぎでも数人の旅行者がいて、人気のあるツアー会社だということは分かりました。 

 翌日、出発時間である10時少し前に事務所に行くと、大変な混雑で部屋の中に入ることさえできません。シーズンオフに当たる時なのに、こんなに大勢の客がいるとは驚きです。また、鉄道駅前の通りにはツアーに参加する人たちが行き来していますが、その多くが中国人や韓国人なのです。一方、穂高の事務所の中は日本人の若い女性が多いのが特徴的でした。

 ウユニ塩湖の人気はすごいです。


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 ウユニの駅前通り


 ウユニのツアーは、当然ですがウユニ塩湖のツアーが中心です。穂高の評判がいい理由は、ツアーのドライバーが単に運転して案内するだけでなく、塩湖で写真の撮り方を教えてくれるなど丁寧な対応をしてくれるからだそうです。

  ただし、それは穂高の専属ドライバーを使う塩湖ツアーの場合です。私が参加するボリビア高地23日ツアーは、ランドクルーザーに客が6人乗って出かけるのですが、1ツアー会社では人数が集まりません。そこで、複数のツアー会社の客を引き受ける別の会社に運行を任せるのですから穂高は関係ありません。

  私の場合は、それぞれ別のツアー会社に参加を申し込んだ、日本人の若者1人とドイツ人の家族4人が一緒になりました。また、同じ運行会社のもう1台の車両には韓国人のグループ5人ほどが参加していました。

  参加費は23日ツアーで120USドル。どこのツアー会社でも価格に大差はないのですが、会社によって値引きもするようです。同じ車両の日本人の若者は、前日の塩湖ツアーにも参加していたため、値引きを要求して少し安くしてもらったそうです。


 ウユニ塩湖へ向けて出発!

  10時半になり出発です。ガイド兼運転手は、人は良さそうですが、あまり話が得意ではなさそうな40前後の男性です。まあ、おしゃべりなガイドよりは疲れなくていいかもしれません。

  まずは、ウユニ塩湖ツアーで必ず立ち寄る「列車の墓場」に到着です。砂漠のような場所に、蒸気機関車をはじめとした列車の残骸が数多く放置され、ちょっとシュールな光景を作り出しています。

 これは、19世紀にボリビアの鉱山から産出する鉱物資源を太平洋岸の港まで運搬するために活躍していた列車だそうです。その後、ボリビアはチリとの戦争に負け、太平洋への出口を失ってしまい、多くの列車は利用価値を失い放置。その後、残った列車も資源量の減少で次第に利用されなくなって捨てられたということです。


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列車の墓場に放置された機関車など


 車はいよいよウユニ塩湖に入っていきます。テレビで見たのと同じまっ白な塩の大地が広がっているのですが、たくさんの車が行き来するため地面は茶色に汚れていて、ちょっとガッカリです。それでも、隣を追い越していくランクルの乗客が、気持ちよさそうに奇声を発していました。




 


 塩のホテル・プラヤ・ブランカで昼食!

 しばらく走ると、塩でできたホテルであるプラヤ・ブランカが見えてきます。現在はホテルとしては使われておらず、ツアー客が昼食を取る場所になっています。この建物の横に世界各国の国旗が翻る場所があり、ウユニの名所の一つになっています。

 建物内は広いホールになっており、大勢のツアー客が集まって食事をしています。私たちも、ガイドが用意した野菜サラダと茹でた牛肉の昼食を食べることにしました。骨付きの大きな肉は意外にも柔らかくておいしかったです。


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塩湖に浮かぶプラヤ・ブランカ


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プラヤ・ブランカ横の国旗


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プラヤ・ブランカの食堂


 塩湖の鏡張りを見に行く!

 3月はまだ雨期なので、塩湖には水か溜まっている場所があります。ここなら、雨が降らなくてもウユニ名物の「鏡張り」が見られるわけです。

 

 車が乾いた塩の大地を進むと、やがて前方に湖のように水面が広がった場所が見えてきます。塩湖ツアーの車が数台、湖の中に止まっています。私たちの車もゆっくりと水の中に入って行きました。20分ほど進み、近くに別の車両がほとんどいない場所まで来ると、運転手が「降りて大丈夫だ」と言います。

  ドアを開けて水に足を入れると生暖かい感じです。水深は20センチくらい。ズボンをまくり上げて塩湖に降りました。湖底には尖った塩の塊が無数にできていますので、それが足裏を強く刺激して、痛くてたまりません。


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水の中の塩の結晶は踏むと痛い。 


 鏡張りは風が吹くと水面にさざ波が立ち、キレイに現れません。すでにここに来たという日本人の若者が「風が完全に止むことなど、ほとんどないですよ」と言います。その言葉通り、強くはないものの、常に風が吹いています。どうしても鏡張りが見たいなら、何度も通い、風が止むのを待つしかないわけです。もし、キレイな夕焼けが出た時に風が止むという幸運に出会えれば最高だと思います。


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キレイな景色だが、鏡張りにはなかなかならない


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わずかな風でも湖面が波立ってしまう。 


 なお、ウユニ塩湖の人気スポットであるサボテンが群生するインカワシ島は、雨季の間は途中に水の深い所があるため行けないそうです。

  これでウユニ塩湖は終了。そんなに期待していたわけでもないのですが、あまりにもあっさりと通り過ぎた感があって、残念な思いを抱えながらも車は先に進んでいくのでした。

 

 

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ティワナク遺跡に行く!

 2017-04-18

 古代遺跡に向けて出発!

 ラパスの近くには、アンデス文明史の中で非常に重要な位置づけがされているティワナク遺跡があります。3月は雨季の最後の時期で、毎日のように雨が降っていますが、朝の晴れ間を見て思い切って出かけてみることにしました。 

 ティワナク行きのコンビ(乗り合いミニバン)は前回紹介したセメンテリオ(墓地)の近くから出発します。朝9時ころ行ってみると、道路に止めたバンの中に5人ほどの若者が乗っており、「もう1時間も待っているんだ」と言います。 

 乗り合いの車は出発時間が決まっておらず、一定の人数が集まるまで待つのが普通です。運良く、それほど時間を置かず4人の乗客がやってきました。運転手は「じゃあ、行こう」と車を出しました。エル・アルトはいつも通りのすごい渋滞ですが、郊外に出れば、高速道路並みの見通しのいい一本道。思い切りスピードを上げて走れます。ティワナクまでは約2時間かかりました。


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ティワナク行きのコンビ


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ティワナク遺跡の入り口。左の建物が博物館


 1400年近く続いたティワナク文化

 同じ車で来た若者たちが「一緒にガイドを雇おう」と言います。ガイド料は何人でも変わりません。私を含めて8人でシェアして一人18ボリビアーノ(280円くらい)ほど、入場料は100ボリビアーノ(1500円くらい)とちょっと高めです。 

 見学は博物館から始まります。まず、ティワナクとはどのような文化かという説明がけっこう長時間ありました。

 ティワナク文化は、形成期の初期(ティワナクⅠ期)が紀元前200年ほどまで遡り、数多いアンデス諸文化の中でもかなり古い時代に属します。その後、都市として発展を続け、ティワナクⅤ期と呼ばれる西暦1200年ころまで続きます。その間、宮殿やピラミッド状建造物など様々な構造物が作られますが、その特徴はインカ文明につながる巨石加工を得意としていたことにあります。

 現在のボリビアからペルーにかけて広い版図を誇ったティワナク文化は1200年ころになると衰退し、周辺諸族が群雄割拠して争う時代に入ります。その中から出てきて、たちまち諸族を平定したのがインカだったのです。 


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ティワナクの土器

 

雨の中を遺跡見学に・・

 ガイドの説明が長いため、ちょっと苛立ちました。今にも雨が降りそうな雰囲気だったため、すぐに遺跡に出たかったからです。ようやく博物館を出たのですが、まだ次の博物館がありました。こちらには、遺跡を模した部屋の中央にベネットと呼ばれる巨大な石像(モノリート)が立っています。もともとラパスの博物館に置かれていたのを移したそうで、高さ7.3m、重さは20t。紀元600年から800年のティワナクⅣ期に作られたものだそうです。マヤの石像に比べるとプリミティブですが、堂々としていて見応えがあります。ちなみに博物館内は撮影禁止になっています。 

 外に出ると雷が鳴り、かなり雨が降っていました。ガイドはみんなに「合羽を着てください」と言いますが、雨の中での遺跡見学は大変なのです。遺跡の入り口から中に入っていくと、アカパナというピラミッド状建築物がありますが、道がぬかるんでいて靴が泥まみれ。ピラミッドの斜面の土もドロドロになっていて上ることができません。


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雨の中を遺跡に向かうが、足は泥まみれ。

 

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アカパナのピラミッド


有名な太陽の門を見る!

 アカパナに隣接して、カラササヤという石壁に囲まれた130m×120mの長方形の建造物があります。この中には、博物館にあるベネットに似たモノリートが2体と、ティワナクで最も有名な太陽の門が立っています。 

 太陽の門は大きな石を削って彫り出したもので、建物の入り口だったと推定されています。正面の上部にはビラコチャ神が浮き彫りにされておりその両側に、鳥人および走る人とされる2種類の像が繰り返して浮き彫りになっています。それほど大きいものではないのですが、その精巧な作りと高度な石の加工技術が印象に残ります。


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カラササヤを取り囲む石壁。


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カラササヤの中に立つモノリート。

 

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一枚岩をくりぬいて作られた太陽の門。


 カラササヤの東側には28m×26mの半地下式の方形広場があります。深さが1.7mあり、水がないプールのような感じです。中央には小ぶりのモノリートが立っており、周囲の石壁には人の顔を彫った石が埋め込まれています。顔の石は177あるそうで、ビラコチャ神の命によってこの地に現れた様々な人間のグループのシンボルとして彫られているそうです。


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カラササヤ(奥の壁)に隣接した半地下式方形広場。


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広場の壁には人間の顔を象った石彫がはめ込まれている。


インカにつながる巨石文明の源

 天気は回復傾向にあったのですが、道がぬかるんでいるため遺跡をくまなく見て回るのは難しい状況でした。そこで最後に、メインの遺跡群からは少し離れた場所にあるプーマ・プンクに行くことにしました。博物館から歩いて10分ほどで、入り口に到着。ここには、巨石を使った様々な建造物の跡があります。

  かつて、ここには低層の階段状の基盤の上に神殿が建てられ、基盤を掘り下げた広場もあったようです。現在は、元の形が分からないほど破壊されていますが、あちこちに残る大きな石を削り出して作った大小さまざまな石材は見事な出来です。インカの神殿の壁などを形づくる美しく加工された石が思い出されます。石に彫られた形状としては、特に十字が多用されているのが印象的でした。


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プーマ・プンクの巨大な加工石。壁には十字の浮彫が見える。


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精巧な加工がされた石材がたくさん転がっている。


アンデスにも十字架があった!

  ティワナクには「アンデスの十字」と呼ばれる形状があり、アカパナのピラミッドの復元模型を見ると、頂上に十字型の窪みが作られています。この形状がインカにも受け継がれ、「インカの十字」と呼ばれる4方向、あるいは4つの世界を十字で示す独自の世界観が形成されたとされます。ちなみに、インカの人たちは自分たちの帝国の事を4つの地域を意味するタワンティンスウユと呼んでいました。

  ここで見学の時間が終わりになりました。朝、乗ってきたコンビは乗客が見学を終える時間まで待っているのです。ただし、行きの乗客に加えて、遺跡からラパスに行く他の人達もできるだけ乗せるため、ちょっと窮屈になってしまいます。

  帰りは雨も上がって、4000m近い大平原の青い空に白い雲が湧く美しい光景を見ることができました。遺跡見学にはもう少し時間が欲しい部分もありましたが、同行者とガイドをシェアできたこともあり、満足できる遺跡巡りの小旅行となりました。


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4000mの高原に青空が戻ってきた。




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ラパスの街歩き その2

 2017-04-15
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ラパスのロープウェイ「テレフェリコ 赤路線」


  ラパスのロープウェイを楽しもう!

 ラパスの街歩きで是非利用したいのが、テレフェリコと呼ばれるロープウェイです。2014年に2.4kmに及ぶ最初の路線が開通したのを皮切りに、現在では4路線、合計14.7㎞が完成。将来的には、さらに7つの路線を開通させる計画だそうです。

 現在の路線のうち2路線はラパス市内と空港があるエル・アルトを結んでおり、標高4000mに達する世界一高い場所にあるロープウェイとなっています。また、総延長14.7㎞は都市交通としてのロープウェイの中では世界最長です。ちなみに箱根のロープウェイは1回乗り換えで全長4km、ラパスの赤路線と接続する青路線を乗り継ぐと7.1㎞になります。

 ではテレフェリコに乗ってみましょう。
 市内の中心部から最も近いテレフェリコ駅は長距離バスのターミナルに近い赤路線のEstación Central(Taypi Uta)になります。歩いて行くには遠いので、バスかミクロ(乗り合いミニバン)を使います。メイン通りのマリスカル・サンタ・クルス通りを通るバスのフロントガラスに「Teleférico」と書いてあれば大丈夫。乗る時に、「テレフェリコのテルミナル(駅)に行くか?」と運転手に確認して乗ることをお勧めします。


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赤路線の駅 Estación Central


 テレフェリコの駅は近代的な建物です。まず、窓口で切符を買います。1枚3ボリビアーノ(40円くらい)と安いです。ゴンドラの定員は10人と結構大きいです。

 Estación Centralからはエル・アルトに向けての上りになります。ゴンドラは密集した家屋の上を飛ぶように走って行きますので気持ちがいです。眼下には、家の屋上で遊んでいる子供や洗濯物を干している女性など、人々の生活が見えるのも面白いです。


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ゴンドラの中は結構広い

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家々の上を走るロープウェイ


 バスなどで市内からエル・アルトに行くと30分以上はかかりますし、ルートや時間帯によっては交通渋滞が激しく、嫌になるほど動かないことが多いのです。しかし、ロープウェイ(赤路線)なら10分でエル・アルトに到着。ここからのラパス市内の眺めは素晴らしいです。

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エル・アルトからの眺め


 エル・アルトの駅16 de Julio(Jach'a Qhathu)の周辺には露天市が広がります。特に休日には露店が道路を埋め尽くし、日用品やおもちゃ、レジャー用品など様々なものが売られています。観光用ではないので、買うものはあまりないのですが、見て歩くだけでも面白いと思います。ただし、ちょっと治安が悪い部分もありますので、スリや酔っ払いの喧嘩などに注意が必要です。この日も、酔った男たちが大声を上げて揉めているところに出くわしました。

 ロープウェイの利用客は普段はそれほど多くないのですぐに乗れるのですが、日曜日などにエル・アルトから戻って来る際は、行楽客や観光客がどっと増えるために大混雑になることがあります。この日も、駅の前には利用客の長蛇の列ができていました。


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乗客の長蛇の列

 プリペイドカードを使う地元の人が優先的に入場していくのを見ながら、切符利用の私たちは列に並んでジッと待ちます。40分くらい待ってようやく駅の中に入ることができました。

 赤路線にはセメンテリオという途中駅が1つあります。ここで降りて、市内の中心部まで歩こうと思います。ここからの道はラパスの人々の生活を間近で見ることができ、ツアーが組まれるほど観光客に人気のルートでもあるのです。

 セメンテリオというのは墓地のことで、駅の近くには大きな公共墓地があります。この日は日曜日でしたので、墓地にはお参りの人や葬儀の人が大勢訪れていました。駅から墓地の中を突っ切って歩いていくと、ちょっと不謹慎ですが、日本とは異なった墓の形や埋葬習慣が見られて、けっこう面白いです。

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セメンテリオの入り口

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お墓はアパートのように積み重なった形になっている。



 墓地の前のバプティスタ通りの坂を東に向かって降りていきます。周辺には花屋、葬儀屋をはじめとして様々なものを売る店が並び、大勢の人が行きかっています。折り重なるように立ち並ぶ家々は古色蒼然としていて、雑然としたたたずまいが独特の景観を形づくっています。

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バプティスタ通りの坂


 道路が少し細くなったマックス・パレデス通りに入ると道の両脇に果物や野菜などを売る露店が並び始めます。狭い道は四方から流れ込む大量のコンビやバスで埋め尽くされ、大渋滞が起きています。所狭しと並ぶ露店の間を買い物客が縫うように歩き回り、道路に捨てられ腐ったごみの臭いと共に人々の熱気が伝わってきます。こういうアジア的な混とんと喧騒は、最近、他の国々では見られなくなっていますので、貴重な体験ができると思います。

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露店が並び、車が溢れる道。

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露店の一つ。薬草(?)を売っている。

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果物屋が売っていたサボテンの実トゥーナ。甘くておいしいが、小さな種がうざい。


 マックス・パレデス通りを進むと、観光の中心地であるサガルナガ通りとぶつかります。ここを左(北東)に曲がると、急な坂道となっているサガルナガの中心からサン・フランシスコ寺院に出ることができます。



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