インカ神話の地、コパカバーナへ

 2017-05-15
 copacabana009.jpg 

ラパスからコパカバーナへバスで移動

 ラパスからチチカカ湖畔の有名な巡礼地であるコパカバーナに行くバスは中央バスターミナルから出ています。しかし、私はホテルに近いセメンテリオ(墓地)にある安いバス会社を選びました。出発時間は、平日と週末で異なるのですが、朝は6時から30分おきに出ています。価格は20ボリビアーノ(約300円)でした。

 8時半発のバスに乗り込むと、乗客は10数人で、かなり空いていました。しかし、途中でエル・アルトのバスターミナルに寄り、二十人ほどが乗り込んだため、席はほぼ埋まりました。エル・アルトではあちらこちらで道路工事が行われていて、バスは迂回するために狭い市街地に入り込んでノロノロ走り回ります。これにはイライラしました。


buscopacabana01.jpg 

セメンテリオから出発するバス

湖をボートで渡る・・・

 3時間ほどでチチカカ湖岸に到着。この湖は標高3800mに位置し、大きさは琵琶湖の13倍弱。北西のチュクイト湖と南東のウイニャイマルカ湖に分かれています。道路は、この二つの湖を結ぶ幅0.5kmほどの水路で途切れており、ここを船で横断する必要があるのです。フェリーなどはないため、バスは台船に乗せて対岸に渡し、乗客はボートで渡ります。35年前にもここを通りましたが、周辺施設が整備されたくらいで、基本的に渡しの方法は変わっていません。

 対岸には小さな街があり、旅行客相手の食品や土産物を売る店が並んでいます。トイレ休憩程度の待ち時間で、またバスに乗り先に進みます。


copacabana001.jpg 

チチカカ湖の水道を台船で渡るバス


copacabana002.jpg 

人間はボートで渡る


奇跡を起こすカンデラリアの聖母

 午後1時過ぎにコパカバーナに到着。中央広場でバスを降りると、有名なカトリックの巡礼地でもある白亜のコパカバーナ大聖堂が迎えてくれました。

 ちなみに、この教会に祀られている聖母カンデラリアは、スペイン人が現在のペルーに侵入した1530年代初頭からわずか30年後に安置されたそうです。その後、何度も奇跡を出現させたとされて聖母信仰と巡礼が盛んになったのですが、これにはインカの巡礼地とされていた太陽の島の宗教的力を削ごうとする意図があったと推測されます。

 いずれにしろ、ボリビアの辺境の地とは思えない立派な聖堂や、豪華な主祭壇の聖母像などは、この町の大きな見所となっています。


copacabana004.jpg 

コパカバーナ大聖堂の門。白壁にモザイクタイルが美しい


copacabana015.jpg 

大聖堂の正面。右に3本の十字架が立つ建物、中央が正面入り口、左が鐘楼


チチカカ湖を望むホテル・ミラドール

 ここでの宿泊はチチカカ湖がよく見えるというホテル・ミラドールに決めていました。

 中央広場で地元の人に場所を聞くと「湖の方だ」といいます。教えられた方向に向かって歩いていくと、通りの両側にレストランや土産物屋、ツアー会社が立ち並び、地元の人たちと共に大勢の観光客が歩いています。35年前は電気も満足に使えない寒村だったのですが、その発展ぶりには驚かされました。

 ホテル・ミラドールはチチカカ湖畔に建つ8階建ての結構大きなホテルです。今はシーズンオフで、数多いホテルはどこも閑散としていますが、ミラドールのロビーには数人の旅行者の姿があり、人気があるのが分かりました。

 宿泊料金は朝食付きで80ボリビアーノ(1200円くらい)と安いです。部屋はすべてレークビューになっていて、特に朝晩には美しい湖の景色を見ることができます。

 ここに宿泊したのは、インカ神話の地である太陽の島に行くためです。午後発のツアーに間に合いそうでしたが、急ぐ必要はないため翌日の朝のツアーにしました。実は、朝出発のツアーはほぼ1日かけて太陽の島を巡るのですが、午後発は太陽の島への往復に3時間かかるため、島には1時間程度滞在するだけのようです。

 遅い昼食になりましたが、名物のマス料理を食べることにしました。チチカカ湖周辺では、どこでもマス料理が食べられるのですが、コパカバーナでは湖畔にマス料理などを提供する食堂が並んでいます。おいしいマスを食べると疲れも癒されます。


copacabana005.jpg 

チチカカ湖畔に建つホテル・ミラドール(展望台という意味)


copacabana007.jpg 

ホテルの部屋から見たチチカカ湖


copacabana010.jpg 

コパカバーナの町と湖に浮かぶツアーボート


copacabana014.jpg 

チチカカ湖名物のマス料理




よろしければワンクリックお願いします。



ボリビア・長距離バスの旅

 2017-05-10

長距離バスで移動する・・・

スクレ~コチャバンバ~ラパス

 スクレからボリビア第3の都市コチャバンバに向かうことにしました。長距離バスで89時間かかるため、夜行便を利用します。

 スクレのバスターミナルは街の中心部から市内循環バスで15分ほどのところにあります。2階建てのかなり古い建物ですが、主要都市間の長距離バスを運行するバス会社がたくさん入っています。中に入ると、バス会社の係員が乗客を確保しようとして声を掛けてきます。その誘いを無視して、私はトランス・コパカバーナという旅行者に評判のいいバス会社を探しました。


sucre025.jpg 

スクレのバスターミナル内部。かなり狭く、古い感じだ。


 その会社の窓口にいた若い男性が、「セミカーマは830分、カーマは9時発」と言います。長距離バスには、ノーマルな4列シートのバスの他、4列シートでリクライニングの傾きが大きいセミカーマ(カーマとはベッドのこと)と3列シートでシートがフラットに近くなるカーマの2種類があります。一人旅の場合、横に身体が大きい人が座ると窮屈で熟睡できない心配があります。3列シートなら、一人用の独立シートが選べますから快適に過ごせます。そこで、9時発のカーマを選びました。価格は80ボリビアーノ(1200円くらい)と、意外に安いです。

 ちなみに、この会社のホームページから同区間のチケットを購入するとカーマが20ドル、セミカーマが13ドルとなっています。為替の誤差にしては違いすぎるので、80ボリビアーノはシーズンオフの設定ではないかと思います。

 座席指定はモニター画面を見て行い、一人用の列から空いていた席を確保。係員に荷物を預ければ準備完了。バス会社は2階にあるので、バスが出るプラットフォームがある1階に降ります。ボリビアの主要都市のバスターミナルでは利用料を払う必要があります。チケットブースで2ボリビアーノ(約30円)を払い、渡されたチケットをバス乗り場の入り口にいる係員に渡すとバスに乗れます。

 プラットフォームでは係員に渡した自分の荷物がバスに積まれるか確認するため、前の便の乗客が集まっています。その時、自分の荷物が積み込むバスを間違われていないか不安になり、荷物の受け取り票を確認してみました。すると「830分」と書いてあるではありませんか。あわてて2階に駆け上がり、私の荷物を1階に下ろそうとしていた係員を制止しました。

 「危なかった・・・」と思いました。日本なら30分前のバスに荷物を載せても大丈夫でしょうが、ここでは無事では済まないでしょう。

 カーマの3列席は一人分の幅が広く、かなりゆったりした感じです。背もたれはフルフラットではないのですが、かなり深く倒せるため寝るのに問題ありません。曲がりくねった夜の山道をバスは走りますが、舗装路ですので、気持ちいい揺れに身を任せているうち眠ってしまいました。


buscopa001.jpg

トランス・コパカバーナのバス。ベンツを使っている。


buscopa002.jpg  

カーマの内部。3列席で座席の幅が広い。


 整然とした美しさの街コチャバンバ


 朝5時半にコチャバンバのターミナルに到着しました。ターミナルから街の中心までは歩いて2030分です。ホテルを探すにも早すぎるし、時間つぶしも兼ねて歩くことにしました。

 コチャバンバは標高2600mに位置する人口50万人の都市です。この街もポトシ銀山の繁栄の恩恵を受けて発展しました。温暖な気候を利用して生産した食糧をポトシに供給する役割を担っていたそうです。

 今でも農業が盛んで、比較的豊かな土地柄のせいか、他のボリビアの都市に比べて整然とした美しさがある街です。気候も穏やかで、歩いていると朝の空気が気持ちよく感じられました。


cocha005.jpg 

コチャバンバのシンボル、カテドラルの塔


cocha003.jpg

コチャバンバの中心街


cocha001.jpg 

コチャバンバの中央公園に面した建物


 今回は、恐竜の足跡で有名なトロトロという場所に行くために来たのですが、事情があって断念。コチャバンバには特に見るところもないので、翌日、長距離バスでラパスに移動することにしました。コチャバンバ~ラパス間はバスで9時間ほどですが、今回は昼間の長距離バスにしました。


 安いバスはボロかった!!


 コチャバンバのターミナルは広く、たくさんのバス会社のブースが並んでいます。その中から、朝9時発のカーマがある会社を探し、値段を聞くと「30ボリビアーノ(450円くらい)」と言います。耳を疑いました。スクレ~コチャバンバ間とかかる時間もバスのクラスも変わらないのに値段は半額以下です。すぐチケットを購入し、バスが停まっているプラットフォームに行きました。

 外見はスクレから乗ったバスと変わらない二階建ての綺麗な車体です。しかし、中に乗り込んでみると、かなりボロでした。座席も汚れていて埃っぽいのです。この路線はバス会社の競争が激しく、古い車体を使ったバスは客が集まりにくいため、運賃を安くせざるを得ないわけです。客も安さにひかれてきますので、外国人観光客などは見当たらず、大きな荷物を持った地元の人たちばかりでした。しかし、カーマの一人席でゆったりできますから多少汚れていても問題ないです。


cocha002.jpg

コチャバンバのバスターミナル。スクレに比べかなり大きい。


busboli001.jpg  

ボリ―バル社のカーマは安いがボロい。車体はブラジルのマルコポーロ社製


 昼間のバス移動は、やはり時間がかかる気がします。長時間の移動で窓の外の景色にも飽きてしまい、時計を見ながら「まだ着かないかなー」と何度も思っていると、ラパス市内の名物である渋滞にはまりました。そのうち雨が降り出しました。今年は例年になく天候が不順だそうです。6時ちょっと前にバスターミナルに到着。

 この移動は疲れました。


lapaz0100.jpg 
雨に煙るラパスの街

よろしければワンクリックお願いします。
にほんブログ村 海外生活ブログ 中南米情報へ
にほんブログ村 
にほんブログ村 旅行ブログ 中南米旅行へ
にほんブログ村


ボリビアで最も美しい町スクレ

 2017-05-06
sucre020.jpg 

白い街と呼ばれるスクレの中心部 


 ポトシの富で栄えた街 


 鉱山都市ポトシからボリビアの憲法上の首都であるスクレに向かいます。

 タクシーでポトシの新バスターミナルに行くと、入り口にいたおばさんに「スクレ、すぐに出るよ!」と言われました。運賃は20ボリビアーノ(330円くらい)。安いです。約4時間でスクレに到着しました。

 スクレもポトシと同じようにポトシ銀山が産み出す富によって建設された街です。異なるのは、ポトシが標高4000mあるのに対しスクレは2800mと低いこと。ポトシ銀山を支配していたスペイン人植民者たちの多くが、住みやすいスクレに居を構えたことから街が発展し、建国以来ここが名実ともにボリビアの中心となっていたのです。


sucre022.jpg 

スクレの5月25日広場に面した政府庁舎とカテドラル(左の塔)

 

sucre011.jpg 

赤瓦の屋根が綺麗なスクレの中心部


 ポトシ鉱山での疲れを癒すため、この日のホテルは、いつもより奮発して3つ星を予約しました。中南米の古い街には、植民地時代の建造物をリニューアルしたエレガントなホテルが多いのですが、この日泊まったのもそんなホテルでした。

 街の中心から1ブロックほどの便利な場所にあり、外観はシンプルなスペイン風の建物ですが、ロビーに入るとかなり高級そうな雰囲気です。部屋も、3つ星ホテルとは思えないほど内装や家具など高級感がある作りでした。15000円くらいでしたが、比較的安い価格でこんなホテルに当たると、やはり嬉しいです。


sucre001.jpg 

宿泊したホテル「ラ・メルセー」外観


sucre002.jpg 

ホテルの屋上からは街が一望できる


sucre023.jpg 

ホテルの部屋は雰囲気が良くて快適だ!

 

 景観の美しさで群を抜く街


 スクレの見どころというのは、あまりないのです。

 観光スポットとしては、ボリビアの独立宣言文への調印が行われた「自由の家」や宝石の衣装を着たマリア像が安置されているカテドラル(カトリックの大聖堂)などがありますが、特に面白い場所ではありません。現在、カテドラルは修復中なのか中に入れなくなっています。宝石のマリア像は35年前に見たことがあるのですが、期待するとちょっと残念な気持ちになると思います。

 では、「スクレは何がいいのか?」というと、街全体の美しさと雰囲気の良さと言えます。街の中心地区を植民地時代の建造物群が占めており、その多くがポトシの富をつぎ込んだ贅を凝らした作りになっているのです。また、歴史的な景観を守るために、街並みは条例で白に統一されており、統一感があって非常に美しいのです。写真が趣味の人にはフォトジェニックなスポットがたくさんあってたまらないでしょう。個人的な印象では、中南米に数多くあるコロニアル都市の中でも、景観の美しさでベスト5に入ると思います。


sucre017.jpg

ボリビアの独立宣言が調印された「自由の家」



sucre018.jpg

「自由の家」の内部。中央のガラス台の中に独立宣言文がある(レプリカ)


sucre021.jpg   

スクレのシンボルとなっているカテドラルの塔

 

 街が一望できる南東の丘に行ってみることにしました。ポトシより低いとはいえ2800mの高地です。写真を撮りながら、ゆっくり坂道を登っていきました。碁盤の目状になった街路には古い建物が並んでおり、時が止まったような空間があちらこちらに見られます。


sucre012.jpg

中心から離れると古い家が並ぶ街路が多くなる


sucre003.jpg  

南東の丘近くの街路も味がある


 天国気分を味わう!


 丘の上には、現在は博物館となっているラ・レコレータ修道院の建物があり、柱廊のある広場では学校帰りの子供たちが大勢遊んでいました。

 長さ20mほどある柱廊からは、赤瓦の屋根が折り重なるようにして広がるスクレの街がよく見えます。暑い日だったので、何か飲みたいと思って周りを見ると、柱廊の下の部分に小さな公園のようなものがありました。よく見ると、どうやら下にあるカフェの客が利用できるテラスのようです。早速、階段を下りてカフェに行くと、コーラを注文し、テラスに並んだリクライニングチェアーに寝転がりました。

 テラスは坂の途中にある上、周囲は花が咲き乱れる生垣に囲まれており、外から見られることがありません。椅子に寝転がると白い雲が浮かぶ青空が目の前に広がり、汗ばんだ肌にそよ風が気持ちよく吹いています。冷たいコーラで喉も潤い、あまりの気持ちよさにまどろんでしまいました。

 ポトシの地獄から天国に来た気分でした。



sucre009.jpg

南東の丘の上にある柱廊から街が一望できる


sucre005.jpg

柱廊の下にあるカフェテラス


sucre007.jpg   

チェアに寝転がるとこんな感じに見える



 

よろしければワンクリックお願いします。
 にほんブログ村 海外生活ブログ 中南米情報へ
にほんブログ村 
 にほんブログ村 旅行ブログ 中南米旅行へ
にほんブログ村



タグ :

ポトシで地獄の鉱山ツアーに行く!

 2017-04-28


potosi003.jpg 


 銀で栄えた植民都市ポトシ

 

  ウユニを後にして、ポトシに向かいます。

 ポトシは1545年に巨大銀山が発見されて以来、銀山から生み出される莫大な富による都市化がすすめられ、一時は人口20万に達する中南米一の大都市となったのです。しかし、19世紀になると銀の産出量が減少したことで多くの人がこの地を去り、20世紀後半にはすっかり忘れられた街となっていました。しかし、銀山からはいまだに少量の銀やスズなどの鉱物が産出されるため、そこで働く人たちがいるのです。

 ボリビア、あるいは南米の歴史を知ると、ポトシがいかに重要な場所であったか分かります。また、先住民を強制的に鉱山労働者として使役したことで、一説では800万人もの人たちが犠牲になったという悲惨な歴史があり、抑圧されたラテンアメリカの象徴とも言える場所なのです。

 

 ウユニからポトシへはバスで3時間半から4時間で行けます。

 朝8時半ころ、バス会社が集まっている地区に行くと、「ポトシ!9時発だよ」という呼び込みが聞こえました。複数のバス会社が時間をずらしてバスを出発させているので、ほぼ好きな時にバスに乗ることができます。料金は30ボリビアーノ(500円くらい)と安いです。

 バスは順調に走り12時半ころ旧バスターミナルに到着。ポトシには新旧二つのターミナルがあり、行き来する街によってターミナルが異なります。旧ターミナルは街の中心から比較的近いのですが、歩くには辛い距離です。前の道路を通るバスの運転手に「セントロ(中心地区)に行く?」と確認して乗りました。料金は1.5ボリビアーノ(20円くらい)で、ラパスと同じです。

 ただ、どこが中心地区か分かりません。しかも学校が終わる時間なのでしょう、車内はメチャ混みで、外もろくに見えないのです。近くの若者に「セントロは近い?」と聞くと、「僕も降りるから教えてやる」と言います。助かりました。

 地球の歩き方に出ていたオスタル(安ホテル)が中央広場から5分ほどの場所にあり、落ち着いたいい感じの建物だったので、そこに決めました。

 そこの経営者らしき中年の女性に「鉱山ツアーに行きたい」と言うと、「ツアーは2時からだからまだ間に合うけど、できれば明日の午前中の方がいい」と答えます。その理由は「午後は鉱道内に作業者があまりいないけど、午前中は仕事をしている人が多いから面白い」ということでした。実は、これが間違いの元だったのです。


potosi001.jpg 

ポトシの中心街

 

 その日の午後は、ポトシ市内を見て歩きました。この町には35年前にも来たことがありますが、かなり変わりました。昔は、時代から取り残された古臭い町という感じで、長い時が多くの建物を押し潰そうとしているような、うらぶれた雰囲気が漂っていたものです。

 今は人口がかなり増えたのでしょう、町全体が大きくなり、主要な建物は綺麗に整備され、人々が行き来する街路も活気に満ちています。それでいて、古い建物が並ぶ歴史地区には時代を重ねた味わいが残っており、散歩していても楽しいです。ただ、都市の中では世界で最も高い標高4000mに位置するため、すぐに息が上がって、疲れるという問題はあります。

 町外れにあるセロ・リコ(富める丘)と呼ばれる巨大銀山は、中心地区からも見ることができます。草木も生えぬ茶色の山を見ながら、「明日は、その中に入って行くのだ」と思うと、怖いような気もしました。


potosi002.jpg 

植民地時代に銀の鋳造を行っていた造幣局

 

potosi004.jpg 

ポトシの繁華街は人がいっぱいだ!


potosi006.jpg 

街外れに聳える鉱山の山セロ・リコ


 鉱山ツアーに出発!


 翌朝、オスタルで朝食を食べていると、オランダ人の陽気な自転車乗りおじさんが声をかけてきました。彼も「鉱山ツアーに参加する」と言います。そこで一緒にツアー会社に行き、ガイドに連れられて迎えのマイクロバスに乗りました。

 ツアーは全員で15人ほどいましたが、英語グループとスペイン語グループに分けると言うので、私と自転車おじさんはスペイン語グループを選択しました。

 出発前に、まずは着替えです。鉱山労働者と同じつなぎの作業着を着て、長靴をはき、頭にはライトがついたヘルメットをかぶります。次に、鉱山の麓の売店で、鉱道内で働く鉱夫たちへの土産として、清涼飲料とコカの葉のセット袋を一人1袋購入。それから、またマイクロバスに乗り、いよいよ鉱山に出発です。


potosi010.jpg 

労働者に差し入するコカの葉と煙草を示すガイド。


potosi011.jpg 

こんな格好で坑道に入る。


 セロ・リコに上る道をバスが走ると、間もなく「英語グループはここで降りて」とガイドが言います。スペイン語グループはそのままバスに乗って丘を上がっていきます。バスはかなり上まで走り続け、「下のグループとはこんなに坑道の場所が違うのか?」と思っていると、ガイドが「バスから降りろ」と言います。

 このガイドは女性なのですが、鉱山の中では女性は働くことができないそうです。ガイドとして働くのは問題ないのでしょうが、一抹の不安を感じました。

 歩いて坑道の入り口に行くと、鉱石を運ぶトロッコを押す数人の鉱夫たちがトンネルに入ろうとしています。彼らに続いて、ガイドを先頭に、水がたまり泥だらけの道が続く狭い穴に入って行きました。


potosi012.jpg 

坑道の入り口でトロッコを押す労働者たち。


potosi013.jpg 

いよいよ坑道に入って行く。


 鉱夫たちの守り神ティオに参拝


 天井が低いため、腰をかがめて歩くのですが、上から岩や支柱の木材がやたら飛び出しているために、時々、ヘルメットに勢いよくぶつかります。何度もぶつかると、首にまで衝撃が来て、くらくらします。慣れると、ぶつかる頻度が減りますが、油断していると横木がもろにヘルメットに衝突。その強い衝撃を頭全体に受け、歯を食いしばって唸りました。

 狭くて暗い坑道内を15分ほど歩くと、横穴があり、その奥に赤鬼のような像が鎮座しています。「ティオ」と呼ばれる鉱夫たちの守り神です。鉱夫たちは、作業前にティオにタバコや酒、コカの葉を捧げ、作業の安全を祈願するのです。

 私たちはティオの前に並んで座り、ガイドから説明を受けました。鉱道内には埃が充満し、温度も湿度も高いのです。最初は話を興味深く聞いていたのですが、マスクをしていたため次第に息苦しくなりました。そこでマスクを外してみると、粉塵と異様な臭いが鼻を突き、ますます苦しくなったのです。ガイドは「火薬が燃えた匂いだ」と言います。鉱夫たちは自分で購入したダイナマイトを坑道の奥で爆発させて鉱石を粉砕しているのです。





potosi014.jpg 

ティオの前で長い説明を受ける


 ちなみに、鉱夫が作業している所にこのようなツアーが入って行けるのは、鉱山会社が管理しているのではなく、働きたければ鉱山労働者の組合に加入するだけでOKという場所だからなのです。鉱夫は働いて得た鉱物によって収入が決まる自営業者で、何があっても自己責任。健康保険も事故の補償もありません。ツアーで坑道に入る者も基本的に同じです。

 ガイドの説明は長く、息苦しさと暑さで、次第に集中力が失われ、苛立って来ました。ようやく説明が終わった時、参加者の一人が簡単な質問をしました。すると、ガイドは鉱山の歴史をインカ時代から説明し始めたのです。

 「かんべんしてくれ」と思いました。ティオの前にいた時間はやたら長く感じましたが、たぶん20分くらいだったと思います。

 この時点で「もう、鉱道内を這いまわるのは十分」という感じでしたが、ツアーはここからが本番だったのです。

 狭い洞窟内を、腰を曲げたままで歩き続けるのは辛いです。しかも、時々、穴が小さくなって這いずるようにして進まなくてはならない場所もあります。息苦しさと蒸し暑さに疲労感が加わり、冷や汗が止まらなくなりました。


potosi015.jpg 

怖ろしく狭い場所も潜り抜ける。


 ようやく少し広い坑道に出ると、トロッコが走って来る音が聞こえます。ガイドが「危ないからよけて!」と叫びます。よけてと言われても、狭い穴ですから場所がありません。仕方なく、岩壁にピッタリと貼りついていると、すぐ脇を二人の男に押されたトロッコが猛スピードで走り抜けました。そのトロッコが左右に揺れながら走っているため、私の足からギリギリの所をかすめたのです。ぶつかれば確実に大怪我です。思わず、安どのため息をつきました。

 さらに坑道を奥に進むと、途中で作業をしている人たちに出会いました。坑道の横で穴を掘っているのですが、すごい埃が充満しています。作業者はガスマスクの重装備ですが、この環境なら当然です。一方、ツアー参加者はネッカチーフや普通のマスクで口を覆っただけですからたまりません。作業者に持参したお土産を渡すと、さらに奥へと進んでいきました。

 

potosi017.jpg 

鉱道内をどこまでも進む。


 

どこまで行くんだ!

 

 鉱道内は大きな蟻の巣のようです。人が押すトロッコが走れるだけの丸い穴が迷路のように掘られていて、あちこちで別の穴と交差しています。ヘルメットのライトだけを頼りに真っ暗な場所を進むのですから、今自分たちがどの辺にいるのか、出口に向かっているのか、奥に進んでいるのかも分かりません。1時間以上経過し、いい加減「俺はもう帰る!」と言いたいところですが、一人ではぜったいに出口に辿り着かないでしょう。

 しかし、歩いていればまだいいのです。狭い場所でトロッコに鉱石を積み込む作業をやっている人がいると、その作業が終わるまで待たなくてはならないのです。舞い上がる粉塵の中で、息苦しさに耐えながらしゃがみ込んでジッと待っていると、次第に苛立ちが抑えられなくなります。なぜなら、作業がいつ終わるのかわからないし、終わったらさらに穴の奥に進むのですから、戻る時にまた作業が終わるのを待つ可能性が高いわけです。そんなことをしていたら、2時間でも3時間でもこの穴蔵に閉じ込められることになりかねません。

 考えすぎて、プチパニックになりかけた時、作業が終わり、トロッコが走り出しました。「もう帰ろうよ」と言いたかったのですが、黙々とガイドの後に従って歩いている参加者たち(男女6人)を見ると、もう少し我慢してみようという気になりました。


potosi016.jpg 

時々トロッコに鉱石を積み込む作業をしている。


 ガイドはさらに穴の奥に入って行きます。私は、「ひょっとしたら、この先に出口があるのではないか?」という思いになりました。いくらなんでも、これ以上辛い経験をさせるツアーをするはずがないと考えたからです。しかし、それは甘い考えでした。

 先に進むほど穴は狭くなり、腰を曲げて歩くのも限界と思い始めたころ、突当りに辿り着いたのです。そこには落盤防止の木枠が組んであり、斜め上の方に掘り進んでいる作業者がいるようでした。トロッコが入れるようにレールもあります。

 ガイドは「ここでしばらく待ちます」と言うのです。「どうして?」と聞くと、「間もなくトロッコがやって来て、鉱石を積み込みます。ここは狭くて体を避ける場所がないので、その作業が終わって、トロッコが出てから戻ります」と言うのです。


potosi018.jpg 

掘った場所を見るといろいろな鉱物が含まれているのが見える。



 上から石が落ちて来る! 


 いったいどのくらい待たなければならないのかガイドもわからないのですから、私はあきれました。ガイドなら、そんなことは、ここに来るまでに分かっていたはずですから、無理にここまで入ってこなくても、途中でいくらでも戻れたはずです。「ガイドは鉱山労働の厳しさや苦しさを、のんきなツアー参加者にたっぷり味合わせてやろうと思っているな」と私は思いました。

 しかし、私たちにはどうしようもありません。仕方なく、そこにしゃがみ込んでいると、上の方から石がゴロゴロと転がり落ちてきたのです。上の作業者がトロッコに積み込む鉱石を落としているようです。危ないと思った私は、近くにあったシャベルを使って石が足に当たるのを防ぎました。シャベルに石が当たるカンカンという音が響き、ガイドは上に向かって「すみません!人がいるんです、石を落とさないで!」と叫んでいました。

 10分ほどそこにいましたが、トロッコが来る気配がありません。閉所恐怖症の人なら発狂しているでしょう。ガイドは「来ないね・・・戻りましょうか」と言います。「それがいいね!」と私も応じました。



帰り道に出会った労働者たち。石には銀があると言っていた。


 しかし、帰り道がまた大変でした。途中で作業をしている人たちがいたり、トロッコが走って来たりして、何度も粉塵や異臭のするガスを吸い続けながら待たなくてはならないのです。おしゃべりだったオランダ人のおじさんもすっかり黙りこくり、泥水の中で膝を抱えて座り込んでいます。トロッコが通り過ぎた後で、その肩をポンポンと叩いてやると、疲れた笑顔を見せながら頷きました。

 ようやく出口の光が見えた時は、救われた思いでした。「鉱山ツアーはそんなに大変ではない」という人がいましたが、本当にこれを大変じゃないと言えるのかと思いました。もちろん、人には体力差があり、穴蔵や閉所が好きな人や、精神的にも強靭な人がいます。ただ、同じ鉱山ツアーでも、英語グループのルートは場所も違うし、時間も短く、それほど大変ではなかったようです。さらに、もし、午後のツアーに参加していたら、作業者が少なく、鉱道内の作業待ちやトロッコの通過待ちも少なくなるわけですから、もっと楽だったのかもしれません。


potosi019.jpg 

坑道の外からポトシ市街を望む


 いずれにしろ、無事戻れたのですから、いい経験になりました。地下の坑道の厳しさを体験したことで、そこで毎日働く人たちの苦労も少しは感じることができたわけです。生まれた場所が異なるだけで、面白半分に坑道に入るツアー客と、生きるためにそこで働き続けなければならない人達の違いが生じてしまうという現実。それをどう受け止めればいいのか、考えるきっかけにもなりそうです。


 

よろしければワンクリックお願いします。
 にほんブログ村 海外生活ブログ 中南米情報へ
にほんブログ村 
 にほんブログ村 旅行ブログ 中南米旅行へ
にほんブログ村


ボリビア高地の旅へ

 2017-04-26

kororada.jpg 


標高4000mの高地を走る 


ウユニ塩湖を見た後、私たちのランクルは南西に向けて走り続けました。

 標高4000m弱の大平原の中を未舗装の一本道が延々と続き、時々、野生のビクーニャの群れが草を食んでいるのを見ることができます。

 ビクーニャの毛は非常に細く柔らかいため、これを使った織物などはアルパカ以上に高級とされているのです。ただ、リャマやアルパカなどと異なり人に慣れないため、飼育は困難だそうです。以前は、毛や肉を取るために乱獲されて数が激減したのですが、保護政策が功を奏して、今ではかなり増えています。


bikunya001.jpg 

途中で見たビクーニャの群れ

 

 やがて、大平原の中にあるチュピカという小さな村に到着。この村はずれに塩でできた山小屋のようなホテルがあり、ここが1日目の宿泊施設になっています。外観は、塩でできていると思えないのですが、中に入ると確かに壁などが塩でできていて、歩くと床の塩がジャリジャリと音を立てます。 

 各部屋にはシングルベッドが二つ並んでおり、電気も水道もあるので居心地はそれほど悪くありません。ただ、シャワーは水しか出ないようです。温水がなければ、寒くてとてもシャワーを浴びる気になれません。また、スマホやカメラの充電も食堂のコンセントで可能です。みんなが充電するため、たくさんの機器がたこ足状態になっていて、場所がないという問題はありますが・・・。

  食堂では車両ごとにテーブルが決められています。夕食時にはボリビア産の赤ワインが1本出てきました。「ボリビアのワインもおいしいんだよ」とガイドが言いますが、まあ、そこそこの味。夕食はチキンフライとポテトフライ、サラダ。食べやすく、ワインにも合う食事でした。

 

hoteluyuni001.jpg 

1日目の宿泊施設、「なんちゃって塩のホテル」


hoteluyuni004.jpg 

宿泊施設の部屋


絶景のエドアルド・アバロア自然保護区


 2日目、朝5時ころ出発した車両があり騒音で目が覚めました。ツアーによってルートが違うのでしょう、私たちの車両は出発時にもたつき、8時過ぎになって出発となりました。

  途中、チナグア塩湖を通り、南のエドアルド・アバロア自然保護区を目指します。この辺りは標高5868mのオヤグエ火山などがあり、車窓から素晴らしい景色が楽しめます。途中にはいくつかの湖があり、水の中にいるフラミンゴの群れを見ることもできます。ただ、時期によっては多くのフラミンゴを間近で見ることができるようなのですが、私たちは結構遠い位置で十数羽しか見られなかったのが残念でした。


uyunikouti.jpg 

こんな風景が続く


uyunikouti01.jpg 

湖も綺麗だ。

 

 その後、アルボル・デ・ピエドラ(石の木)に到着。風化や浸食によってできた奇岩が集まっている場所です。特に有名なのが、細い幹から葉が茂った木のような形になっている石です。

  夕方になって、この日のハイライトであるラグーナ・コロラダに到着です。赤い湖という意味の名前の通り、赤く染まった不思議な湖面が目の前に広がっています。これは湖に赤い藻が繁殖しているためだそうです。また、湖面にはピンクのフラミンゴの群れがいて、荒涼とした景色に花を添えています。

 ガイドが「この湖の色は時間帯によって変化するんだ。こんなに美しい場所は他にない」と言います。同じ赤でも太陽の光の具合によって、深紅から淡いピンクまで変わっていくようです。

 昔、テレビでこの湖をチリ側から目指した番組を放送していました。何日もかけて大変な悪路を4WDで乗り越え、なんとかここに辿り着いた人達を見て、「大変だけど、ここに行ってみたい」と思ったものです。それを思い出しながら、目の前に広がる絶景を眺めていると「ここに来れてよかった」と感じました。


kororada01.jpg 

赤い湖ラグナ・コロラダ。白い点はフラミンゴ、場所によってはもっとたくさんいる。

 

 2日目の宿泊はエドアルド・アバロア自然保護区の中にあるロッジです。ドイツ人夫婦が追加料金で二人部屋に入ったそうで、私と日本人の若者は夫婦の二人の娘と4人部屋に入りました。

 電気は夕方7時から9時ころまでしか使えません。7時になるとすぐ、ロッジの管理人にカメラの充電をお願いしました。夕食はスパゲッティ。食べたらすぐ寝る。シャワーは水ですから、また浴びられませんでした。困ったのはトイレです。夜は電気がつかず真っ暗ですから懐中電灯が必要なのですが、忘れてしまったのです。悲惨!!


yamagoya01.jpg 

山小屋の食事風景


世界一高所にある温泉


 翌朝は5時出発です。標高4300mの朝は寒いです。車のフロントウインドウが凍り付いていて、運転手はワイパーを動かしても氷がうまく溶けないため、前が見えない状態でしばらく運転していました。「事前に氷を溶かしておけよ」と言いたくなりました。

 暗闇の中を走ると、白い煙がもうもうと立ち上っている所に出ました。先行車両が何台も止まっていて、大勢の人が煙の周辺を歩いています。車から降りると、硫黄の臭いがして、蒸気が噴き出すシューという音がしています。間欠泉です。しばらくすると、噴出音が急に大きくなり、地面から勢いよく蒸気が噴き出し始めました。気温は氷点下なのですが、蒸気は温かくて気持ちよく、そこから動きたくなくなりました。


kanketusen01.jpg 

間欠泉が噴き出している場所。


 そこから少し先には温泉があります。湖の岸辺から温泉が湧いていて、プールのような露天風呂が作られているのです。脇にある小屋で水着に着替えた人たちが大勢温泉につかっています。たぶん、世界で最も高い場所にある露天風呂でしょう。

 ちょうど太陽が山から顔を出して上り始め、みんな温泉で暖まりながら美しい日の出の風色を楽しんでいました。私は、水着がないので入れませんでした。


onsen01.jpg 

温泉につかる人々。

 

 この日はエドアルド・アバロア自然保護区を南下してチリとの国境まで行きます。標高4300mから5000m近い高地の移動です。 

 途中には、サルバドール・ダリの砂漠と呼ばれる場所があります。尖った茶色の山々に囲まれた高地には植物が育たず荒涼とした光景が広がります。それが、ダリが描いたシュールな光景に似ているためこの名がついたのです。


uyunikouti03.jpg 

 ダリの砂漠


富士山のようなリカンカブール山に登る?


 やがて、行く手にチリとの国境に位置するリカンカブール山が見えてきます。標高5916mの富士山に似た円錐形の山です。同行の日本人の若者はこの山に登るために来たそうです。彼曰く、ベースとなる場所が4500mほどあるため、5900mもある山にしては登りやすく、登山する者が多いそうです。

 国境の山小屋に車が到着し、ガイドと彼が登山の交渉に行きました。ところが、なかなか戻って来ません。私が山小屋のフロントに行くと、若者が事前に聞いていた登山ガイドがおらず、困っていました。登山するにはガイドが一緒に行く必要があるのです。

 私も交え、小屋の人といろいろと話しましたが、ガイドや車両の用意ができるのかハッキリしません。その人は「誰か別の登山者がいれば、ガイドと車両をシェアして行けるけど・・・」と言います。若者は「いなければ一人で全額支払う」と言うのに、曖昧な返事しか返って来ません。

 「仕方ないので、ここで別の登山者が来るのを待つ」と彼は言います。南米では、事前の約束と違うことはよくあります。悔しい思いは理解できますが、どうにもなりません。 

 若者を小屋に残して、私たちは来た道を戻ります。途中、奇岩が並ぶ場所を見たりしましたが、ランクルは荒野の道を北に向かってひた走ります。やがて、山間の小さな村に到着。ここにはホスタル(小さなホテル)があり、長距離走行の疲れを癒すとともに、昼食を取りました。

 その後は、ひたすら走り続けました。3時ころにサン・クリストバルという町で休憩。そこから1時間半ほどたった4時半にウユニに帰って来ました。


uyunitur1.jpg 

2泊3日ツアーのルート図


 2泊3日のツアーは車に乗り疲れました。しかし、他では見ることができない素晴らしい景色を堪能できましたし、3日間、病気や車両の故障・事故など、何のトラブルもなくツアーを終えられたのはラッキーだったと思います。



よろしければワンクリックお願いします。
 にほんブログ村 海外生活ブログ 中南米情報へ
にほんブログ村 
にほんブログ村 旅行ブログ 中南米旅行へ
にほんブログ村


≪ 前ページへ ≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫ 次ページへ ≫